和風満堂
2013年1月1日の日夏歴史研究会のだより『日夏の歴史と文化』第27号で紹介しました、1935年(昭和10)4月19日の日夏村役場・産業組合竣工式の2階での記念撮影写真の正面に掲げられていた「和風満堂」の額、行方が分からなくなっていました。
今回日夏在住の書家の大道光和氏が筆をふるって下さり、立派な額にまで仕上げていただきました。

心よりお礼申し上げます。
大道先生は、「光榮」の号をお使いのようで、滋賀県展や彦根市展にも無鑑査。日夏里館の近くにお住まいで、昭和6年のお生まれとのことです。
日夏里館で毎週木曜日に開催される木曜ハウス(宅老所)に参加いただいており、きさくでとてもフットワークの軽い先生です。
昨年の11月23日の最後の日夏里館フェスタにも作品を展示いただきました。
「和風堂に満つ」と読むのでしょうが、村役場(現日夏里館)の建物は洋館ですが、二階の大広間には和風が充ち満ちていると言うのでしょう。二階の大広間と一部を区切った20畳の和室では、木曜の10時から15時まで楽しい会話や昼食、歌声などが広がっています。
大道先生と額の撮影をさせていただいた2月21日(木)の木曜ハウスは、朝から雪降りだったのに23名の方が参加されました。

和風が充ち満ちた広間で、皆さんが楽しく過ごされていることは、何より嬉しく思います。
今後、この額がみんなのこれからを見守ってくれることと思います。
本当にありがとうございます。
感謝でいっぱーいです。
今回日夏在住の書家の大道光和氏が筆をふるって下さり、立派な額にまで仕上げていただきました。

心よりお礼申し上げます。
大道先生は、「光榮」の号をお使いのようで、滋賀県展や彦根市展にも無鑑査。日夏里館の近くにお住まいで、昭和6年のお生まれとのことです。
日夏里館で毎週木曜日に開催される木曜ハウス(宅老所)に参加いただいており、きさくでとてもフットワークの軽い先生です。
昨年の11月23日の最後の日夏里館フェスタにも作品を展示いただきました。
「和風堂に満つ」と読むのでしょうが、村役場(現日夏里館)の建物は洋館ですが、二階の大広間には和風が充ち満ちていると言うのでしょう。二階の大広間と一部を区切った20畳の和室では、木曜の10時から15時まで楽しい会話や昼食、歌声などが広がっています。
大道先生と額の撮影をさせていただいた2月21日(木)の木曜ハウスは、朝から雪降りだったのに23名の方が参加されました。

和風が充ち満ちた広間で、皆さんが楽しく過ごされていることは、何より嬉しく思います。
今後、この額がみんなのこれからを見守ってくれることと思います。
本当にありがとうございます。
感謝でいっぱーいです。
とよさと快蔵プロジェクトの現地へ
昨年5月に日夏里館コミュニティホールで「とよさと快蔵プロジェクト活動報告展2012」が開催され、県立大学生の取り組みを知ることができました。
2月15日に日夏山の研究を進めていた刈谷さんの修論発表が終了したので、年末に日夏山の屋根の塗装の終了を祝して、「とよさと快蔵プロジェクト」の舞台豊郷町吉田を少し見学して、学生BAR「タルタルーガ」へ行きました。

刈谷さんの日夏山についての研究成果は、来たる3月16日(土)日夏歴史研究会の学習会で報告をお願いしています。戦後復興期の曳山「日夏山の再生プロジェクト」についての新年度に向けて検討しました。

乞うご期待。
ところで、吹雪の中シェアハウスの磯辺邸

裏には庭にはピザ窯もありました。
次に、ワークショップで改造中の前田邸、そして、幸い岡村本家の酒蔵も案内いただき、試飲もさせていただきましたが、これは別途紹介したいものです。

タルタルーガは、築80年の土蔵をBARに改修・活用し、運営まで自分たち学生でやろうというこのプロジェクトで2006年10月にオープンしました。現在、毎週土曜日に学生によって営業されています。

楽しくお話を聞き、日夏とは異なる地域を拝見させて頂きました。
ありがとうございました。
2月15日に日夏山の研究を進めていた刈谷さんの修論発表が終了したので、年末に日夏山の屋根の塗装の終了を祝して、「とよさと快蔵プロジェクト」の舞台豊郷町吉田を少し見学して、学生BAR「タルタルーガ」へ行きました。
刈谷さんの日夏山についての研究成果は、来たる3月16日(土)日夏歴史研究会の学習会で報告をお願いしています。戦後復興期の曳山「日夏山の再生プロジェクト」についての新年度に向けて検討しました。
乞うご期待。
ところで、吹雪の中シェアハウスの磯辺邸
裏には庭にはピザ窯もありました。
次に、ワークショップで改造中の前田邸、そして、幸い岡村本家の酒蔵も案内いただき、試飲もさせていただきましたが、これは別途紹介したいものです。
タルタルーガは、築80年の土蔵をBARに改修・活用し、運営まで自分たち学生でやろうというこのプロジェクトで2006年10月にオープンしました。現在、毎週土曜日に学生によって営業されています。
楽しくお話を聞き、日夏とは異なる地域を拝見させて頂きました。
ありがとうございました。
日夏城 解説シート
荒神山の北の尾根上に日夏氏ゆかりの日夏城があります。
山の頂部が平らになっているので、気づかれるのではないでしょうか。

六角方の日夏氏は浅井長政の重臣磯野員昌に攻められますが、抗戦して難を逃れたようです。
その後浅井長政の配下となり、元亀4年(1573)信長の小谷城総攻撃で浅井氏とともに討ち死にし、日夏氏も没落したそうです。
この日夏氏の山城(戦時の詰城)の解説シートが、
市教育委員会文化財課により作成され、日夏里館にお届けいただきました。
平時の屋敷跡の遺跡や城の縄張り図も紹介されています。

日夏里館一階ホールカウンターに置いてあります。
興味のある方はご活用下さい。
なお、城跡は唐崎(とうざき)神社の南西側にあります。
自然の要害で険しく、荒神山自然の家のウオークラリーコース上にありますが、気づかれないことも多いのでは?
山の頂部が平らになっているので、気づかれるのではないでしょうか。

六角方の日夏氏は浅井長政の重臣磯野員昌に攻められますが、抗戦して難を逃れたようです。
その後浅井長政の配下となり、元亀4年(1573)信長の小谷城総攻撃で浅井氏とともに討ち死にし、日夏氏も没落したそうです。
この日夏氏の山城(戦時の詰城)の解説シートが、
市教育委員会文化財課により作成され、日夏里館にお届けいただきました。
平時の屋敷跡の遺跡や城の縄張り図も紹介されています。

日夏里館一階ホールカウンターに置いてあります。
興味のある方はご活用下さい。
なお、城跡は唐崎(とうざき)神社の南西側にあります。
自然の要害で険しく、荒神山自然の家のウオークラリーコース上にありますが、気づかれないことも多いのでは?
他力本願についての法話etc.
一週間が経つのが早い感じがします。
地域に暮らす私たちにとって、いろいろなことがあります。
もう退会すべき年の段階ではあるかとも思いますが、
2月3日の夕方からは、仏教壮年会の行事に出ました。
これまでとは違う企画のようですので見届けたくなりました。

16:30から仏荘 先ずは勤行。

つづいて他力本願についての法話。

他力本願」は私たち庶民の想いではないとのこと。
親鸞聖人は仰せになる。「他力といふは本願力なり」
他力とは、阿弥陀如来の本願のはたらきであり、これを他力本願という。
他力本願は、如来から私に向けられたはたらきであって、自分の望みを他人まかせにすることではない。
如来は、私たちを救わんとしてつねに寄り添い、阿弥陀仏の声となって、われにまかせよとはたらき続けておられる。このはたらきを他力本願というのであるとのこと。
総会後、料理屋さんの迎えのマイクロバスで、大宴会。
18:00前から20:40まで。
飲み放題とのこと。
先の料理には刺身が付いていました。
飽食の時代の一例か?
宴会場の様子は、流石に遠慮しました。
これまで集会所で行っていた懇親会での距離感の違いを痛感をせざるを得ませんでした。
住職さんも楽しまれたようですが?
この会と地域の未来は?
変わりゆく地域を見届けていくことも大切ではないかと思いますが?
地域に暮らす私たちにとって、いろいろなことがあります。
もう退会すべき年の段階ではあるかとも思いますが、
2月3日の夕方からは、仏教壮年会の行事に出ました。
これまでとは違う企画のようですので見届けたくなりました。

16:30から仏荘 先ずは勤行。

つづいて他力本願についての法話。

他力本願」は私たち庶民の想いではないとのこと。
親鸞聖人は仰せになる。「他力といふは本願力なり」
他力とは、阿弥陀如来の本願のはたらきであり、これを他力本願という。
他力本願は、如来から私に向けられたはたらきであって、自分の望みを他人まかせにすることではない。
如来は、私たちを救わんとしてつねに寄り添い、阿弥陀仏の声となって、われにまかせよとはたらき続けておられる。このはたらきを他力本願というのであるとのこと。

総会後、料理屋さんの迎えのマイクロバスで、大宴会。
18:00前から20:40まで。
飲み放題とのこと。
先の料理には刺身が付いていました。
飽食の時代の一例か?
宴会場の様子は、流石に遠慮しました。
これまで集会所で行っていた懇親会での距離感の違いを痛感をせざるを得ませんでした。
住職さんも楽しまれたようですが?
この会と地域の未来は?
変わりゆく地域を見届けていくことも大切ではないかと思いますが?