洋館完成の喜び 1935年
報告書作成のため旧日夏村役場関係の写真を整理していました。
やはり昭和10年(1935)4月19日の日夏村役場と産業組合落成式での人々の喜びはたいへんなものであったようです。

昭和10年5月1日発行の日夏愛郷會の機関誌「日の出」創刊號には、次のように喜びが記されています。
役場組合新築 腐朽して昨年九月の暴風雨に二階の天井が落ちんとした役場庁舎新築の議があり、組合と合併で建設するの企てあり、堂々たる西洋建の荘厳なるもの、後には精米などの作業場も出来、去る四月十九日花々しき落成式が挙行された。下は南側役場、北側組合で、売店部もきれいに飾られ、階上は九十四畳敷の大広間、村の会議等は此のかほり高い青畳の上で行はれることになり、庁員も新しい机に向って新しい気分で懸命の精励振りを発揮してゐる。

この二階大広間は村会議事堂でもありました。
この2点の写真と、屋根裏に取り付けられている棟札は、当時のことを伝えてくれる大切な資料です。
報告書では、その後の動きをたどることになると思います。
乞う、ご期待!
やはり昭和10年(1935)4月19日の日夏村役場と産業組合落成式での人々の喜びはたいへんなものであったようです。

昭和10年5月1日発行の日夏愛郷會の機関誌「日の出」創刊號には、次のように喜びが記されています。
役場組合新築 腐朽して昨年九月の暴風雨に二階の天井が落ちんとした役場庁舎新築の議があり、組合と合併で建設するの企てあり、堂々たる西洋建の荘厳なるもの、後には精米などの作業場も出来、去る四月十九日花々しき落成式が挙行された。下は南側役場、北側組合で、売店部もきれいに飾られ、階上は九十四畳敷の大広間、村の会議等は此のかほり高い青畳の上で行はれることになり、庁員も新しい机に向って新しい気分で懸命の精励振りを発揮してゐる。

この二階大広間は村会議事堂でもありました。
この2点の写真と、屋根裏に取り付けられている棟札は、当時のことを伝えてくれる大切な資料です。
報告書では、その後の動きをたどることになると思います。
乞う、ご期待!
3/17 講演会チラシ
昨月曜日は福井へ行き、戻ってまた大阪へ行くなどとフル運転で投稿ができませんでした。
すみません。
彦根に雪はないのに、敦賀の前後は吹雪でびっくりしました。
さて、ようやく3月17日午後の講演会のチラシができあがりました。
奥貫隆先生に撮影いただいた村役場カウンターのインパクトのある写真を活用させていただきました。

今日は関係機関へ一部お届けさせていただきました。
日夏里館にも置いていますので、ご確認ください。
すみません。
彦根に雪はないのに、敦賀の前後は吹雪でびっくりしました。
さて、ようやく3月17日午後の講演会のチラシができあがりました。
奥貫隆先生に撮影いただいた村役場カウンターのインパクトのある写真を活用させていただきました。

今日は関係機関へ一部お届けさせていただきました。
日夏里館にも置いていますので、ご確認ください。
旧日夏村役場は特異な事例か?

旧日夏村役場及産業組合合同庁舎である現「日夏里館」は、ヴォーリズ設計事務所の設計になる建物です。
現在も続いているヴォーリズ建築事務所にお聞きしたところ、村役場の事例は他にないようです。
ヴォーリズ建築の研究者として知られる 山形政昭氏も、
「村役場の建築のほか、市役所、県庁舎などの官の建築の無いのがヴォーリズの特色」と考えられるとのことです。
旧日夏村役場の建物は、特異な事例であるようです。
村役場建築としてはやはり唯一であるようです。
昭和9年(1934)建築当時の日夏村の人々の思いは、かなりのものだったと思われます。
日夏が北米移民を多く出した村であったこととも関係するように思われます。
完成時、日夏の人々にとって自慢の建物であったことは、当時の記録から知ることもできます。
こんな建物の謎を、現在報告書で解明中です。乞う、ご期待。
タグ :ヴォーリズ建築
残念 村役場玄関にも傷み!
旧日夏村役場の玄関も最近の雪で心配が増していました。
役場玄関の上のところが年末からふくれているので心配でした。
しかし、とうとう外灯の横が一部崩落していました。

やはり悲しい。

村役場の玄関は何とか残しておきたいと思う。
課題は山積・・・

役場玄関の上のところが年末からふくれているので心配でした。
しかし、とうとう外灯の横が一部崩落していました。

やはり悲しい。

村役場の玄関は何とか残しておきたいと思う。
課題は山積・・・
