2012年01月31日

建物調査報告書の準備中

今回も投稿が遅くなってしまいました。



去る1月24日は、大阪中之島にあるヴォーリズ建築事務所にお願いに参りました。副代表の荒木さんとともにお伺いしました。

日夏村役場と産業組合合同庁舎の設計図が41枚も残されていて、建物の設計当初の様子がたいへんよく分かります。
3月17日午後には調査成果を報告する講演会を計画しています。この報告書への設計図の活用についてお願い参ったというわけです。

幸い田中所長様からもご協力いただけるとのことで、たいへんありがたく思っております。
何とかよい報告書になるように努力したいと思います。

乞うご期待!

話題の大阪市役所もすぐ近くでした。大きな建物に圧倒されるくらいです。



ところで、日夏は毎日のように雪がちらつく日々で、田圃に降った雪はそのままです。
27日はこんな風景でした。


 昨日1月30日朝にはうっすら雪が積もっていました。


 雪で赤茶けた草は見えなくなっています。
 寒いとばかり言っていられないので、今日は彦根市教育委員会の文化財課へお願いに行ってきました。

日夏村役場調査委員の先生方にも尽力いただきながら、なんとか報告書作成に邁進したいと思っております。
委員の先生方には、何とぞよろしくお願い申し上げます。

先ほど獅子舞の方が廻ってこられました。




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 14:07 Comments( 0 ) ヴォーリズ建築

2012年01月23日

歴史的建造物を活かしたまちづくりシンポ(3)から

1月21日 「湖東地域の歴史的建造物を活かしたまちづくり」第三地域住民参加によるシンポジウム(ハーティーセンター秦荘)に行きました。

 金沢工業大学名誉教授 鈴木有氏は、
五個荘町近江商人屋敷、高島市朽木 椋川交流館の事例を紹介されました。

行政が関係する場合の歴史的建造物保存の成功への条件を次のように整理されていました。
 
 建造物・・・保存する確かな価値があること

 ニーズ・・・残したい、活用したいとの強い要望が地元にあること

 人 材・・・地元に強い志を持つ複数の人たちが居ること

 リーダー・・・個人でもグループでも良し、初めからでも育つのでも良し

 支 援・・・息長い支援が望める専門家に出会えること
       大学生など若者が加わってくれること

 行 政・・・トップに理解が、担当職員に熱意があること

 連 携・・・連帯の輪が拡がる組織を創ること

 方向性・・・住民自らが主人公として取り組むこと
        行政は住民の自治に信を置けること

この8つの条件を日夏に当てはめるとどうなのか検討しておくことも必要か?

 株式会社きてら代表取締役の玉井常貴氏 の話は、和歌山県田辺市秋津野の事例紹介でした。



 ここまで来るのに24年かかった。
 まちづくりには時間がかかる

 地域資源を活かすには、だ。

 組織継続性・・・産業を巻き込む

そして、歴史・文化

歴史を整理し理解することの大切さを強調されていたのが印象的だった。

秋津野の村づくりの原点が、明治22年 未曾有の大水害で甚大な被害があったことと、昭和32年 社団法人上秋津愛郷会(あいごうかい)の発足にあるようで、

平成 元年 地元雄志による「上秋津を考える会」発足が、24年かかったと言われる出発点のようだ。

そして、平成12年 秋津野マスタプラン策定事業開始(和歌山大学との共同作業)14年最終報告の取り組みは、その後の展開に重要であったことは間違いない。

秋津野の取り組みは、ホームページを見られることをお勧めしたい。
 
やはり、村づくりには時間がかかるのだろう。

 財産区を持ち、広域投棄場協力に伴う補助金を受けており、まちづくりの原資とすることが出来たはずの日夏町。
秋津野の取り組みのその一部でも実現の可能があったのではないかと思われるが?・・・



Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 17:36 Comments( 0 ) 活動メモ

2012年01月17日

歴史を秘めた楠

 今日の午前中の空はきれいに澄んでいました。
 旧日夏村役場の報告書作りに関係して、滋賀県立大学へ行ってきました。



 塔の左横に残月が見えたのでシャッターを押したのですが、あまり分からないでしょうか?

 環境科学部へ向かう途中、塔の対岸に大きな楠がありました。
 木の下に石碑があり、近寄ってみるとなかなか。



 石碑には次のように記されていました。

    楠
 この木は、明治二十年私立淡海女学校の開学記念に植樹されたもので、以来、彦根高等女学校、彦根西高校へと一世紀余にわたり校史の変遷を見つめてきた。
 また、昭和五年の同校の大火の時には、民家への類焼を防いだとも言われている。
 昭和五十六年に道路拡幅により伐採の危機にあったものを造園家の熱意により別の土地に移され、この度県立大学の開学を機にこの地に移植されたものである。


 淡海女学校(1887年)→彦根高等女学校→彦根西高校、そして県立大学へつづく歴史、昭和5年(1930)の大火のことを知ることができました。

 石碑の裏面を確認することを忘れてしまったのですが、滋賀県立大学の開学が平成7年(1995)4月ですので、その時からこの地にたっているのでしょう。

 どれだけの大学生が確認したか分かりませんが、120年あまりの歴史のいくコマかを振り返えらさせてくれる石碑の効用を再確認した次第です。 

 ものごとを語り伝え、顕彰するには、朽ちない石碑は最適かと思われます。



Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:37 Comments( 0 ) メモ

2012年01月10日

八幡堀保存運動に学ぶ

 今日は朝から、日夏里館シャッターが調子悪いとのことなので、専門の方にお越しいただいて立会。
 早くブログに投稿しなくては思いながらこんな時間になってしまった。

 旧日夏村役場・産業組合合同庁舎の調査報告書のための原稿に取り組みながら、農協活動の知らなさに少し反省。
 可能な限り明らかにしておきたいと思います。

 さて、12月17日のシンポの時再確認させていただいた、川端五兵衛氏らが取り組まれた八幡堀再生運動に再度学んでみたいと思います。



西村幸夫・埒正浩編『証言・まちづくり』(学芸出版社、2011.8)掲載の2007年6月13日石川県立生涯学習センターでの川端氏の話をまとめた冊子がネタですが。

「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」青年会議所のスローガン
・八幡堀は歴史的に八幡発展の原点。堀の汚れは市民の心の汚れ。堀が物流機能を失い、市街地から流入する排水の富栄養化が原因。昔は市民が川ざらえをしていた。
・堀は自然に埋まったのではない、市民自らが埋めた犯人である。

「流行性ニーズ」時代の風潮によってくるくると変わる一過性のニーズ
「本態性ニーズ」自然環境や歴史・文化に根づいた市民や、まち全体が持っている気質や風土から生じる、まちづくりの方向づけの根幹。
 歴史に根づいたもの。アイデンティティ。「不易と流行、これは両方なかったら、町というのは活性化しない」
 八幡堀は市民のアイデンティティの源泉ではないか。堀の役割、物流の大動脈を失ったのだったらそれに代わる「新しい価値観を創造」したらどうかと提言した」

全面浚渫の主張に対する県からの専門的な注文、保存運動に求められた堀再生のための四つの課題のなかで、
第一「具体的な構想を図面で明らかに示せ」に対しては、京都大学の西川幸治氏にお願いし、保存修景計画「よみがえる八幡堀」という冊子を作り5千部を発刊した。

第四の「巨費を投じて全面浚渫する意義と必要性を示せ」に対しては、この地で一生を終えるときに幸せだと思われるようなまち、それが「死に甲斐のある終の栖」、「死に甲斐のあるまちをつくるため」とした。郷土愛、究極のまちづくりの思想。
  →試行デモンストレーション 清掃活動

景観に対する市民意識の五段階
 1.無関心の段階
 2.気づきの段階
 3.景観はみんなのものとの自覚する段階
 4.景観は自分のものとの主張が生まれる段階(大切な景観を傷つけたら許さないと思う)
 5.啓蒙する側に立つ段階(景観の保全・修景のリーダーとなる段階)

 原風景に対し目の前にある風景(現(前)風景)は変えられる。
美しい原風景をみんなが共有できること、これこそが、究極のまちづくり。

リバーシブル・ディベロップメント
 途中で一定の目的を達成した場合、これ以上続けていくことがマイナスであると気づいたら、もとへ戻してもいい。
可逆的な開発、可逆的な設計の勧め
 ex. アメリカのビッグディック 高速道路を公園化
   韓国で川の上にふたをした高速道路の川の復元
 西の湖のクリーク地帯 巾35mの河川整備計画→重要文化的景観申請と選定

「まちづくりは身銭を切ること」「お金のある人は金を出したらいいではないか。体力のある人はボランティア活動をやつてください。知恵のある人は知恵を出してください。そして、三つとも駄目だという人は「この町が良くなりますように」といのってくださいと。それだけで結構です。これが究極のまちづくりです。」

誰が捨て汚したのか。大阪から来て捨てたのか。
  →この問いに対して、みんなきれいにしてほしいと思っていた。

市民権を得た八幡堀清掃キャンペーン
 浚渫のためのデモンストレーション、労働組合や市民の参加
 
西の湖の水郷景観をめぐって
 水郷の四季の定点撮影→50年後の映写会の遺言  (50年後の評価に耐えられる行動)
 「皆さんも私も五十年したら死んでいますから、子孫が評価するでしょう。」

 この素晴らしい風景を守ってきたのは川端五兵衞ではない。ごみが流れてきたらすくい上げ、ヘドロが詰まってくれば道筋をきれいにし、クリークをずっと管理してきたのは自分たち(地域の人々。)これが美しいなんていうことは十分知っている。
 土地の有効利用や農地の生産性、将来の農業を考えると泣く泣く土地改良をやらざるを得ない。苦渋の選択→その風景を愛していたのは農家の人たち
   重要文化的景観、景観農業振興地域整備計画
農村集落へ拡大に伴う小学校での特別授業
 「将来君たちが住む家はどれが一番いいと思う?」→「今住んでいるところ」との答え
  豪華マンション・近代的洋風住宅
  ・現在の茅葺きや白壁の家並みでみんなが住んでいるところの三枚の写真

オンリーワンのまちづくり

観光は終の栖の内覧会
 観光に来られる人を儲けの対象にしてはならない
 観光のためでなく、市民の誇りのため
「自分たちがきちんとしたまちづくりをすれば、観光客はあとでやってきます。」
四つの風景
 1一度行ってみたい風景、2一度遊んでみたい風景、3住んでみたい、4ここなら死んでもいい風景

歴史を知る者は未来を透徹する
「歴史を知る者はより優れて未来を透徹することができる。」
熱い想いが新たな道を切り開く


(西村幸夫さんのまとめ)
 川端さんは、「常識を疑って、根本から自分たちの町を良くするためのことを考えると、道は開けてきたのです。それを支えてきたのは、やはり町に対する熱い想いですね。そのために汗を流すし、知恵も金も出すし、時間も費やす。そういう想いがいろいろな人を動かしてきたのだと思います。」

 「素晴らしい景観を鑑賞するだけでなく、この景観を守るために、前例のないことを積み重ねてきた努力に学ばないといけない。」我々自身も、そういう壁を想いと熱意で越えていくことができる。そうゆう道を進まないといけないのではないか。

少しでもあやかりたいと思います。
今年もよろしくお願いします。



Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:09 Comments( 0 ) メモ

2012年01月01日

日夏里館2011年 この一年

一年前の年末は、吹雪でした。
今年は、穏やかな年の瀬と年始です。




日夏里館の保存に取り組みだして2年と10ヶ月程度。

昨年の31日の投稿を見ていると、
 2010年の1年を振り返ると色々なことがあり、建物が残ったことにより色々な可能性が生まれつつあること、しかし、傷んだ建物の改修など課題も多いことを確認し、多くのみなさんの支援がなくては遂行できないことだということを実感した1年でもあった。

 2011年のこの一年にもいろいろなことが動いている。

 2月19日 県立大学近江地域再生学座コミュニティプロジェクトの発表会で、荒木敬之氏「日夏まちづくりフォーラム」の提案、又吉重太氏は発見された設計図を中心に調査報告書づくりのプロジェクトを進めつつあるが、発表は大学生と地域の連携のための組織づくりについて提案された。
 2月25日発行のチェキポン「知られざるヴォーリズ建築」で日夏里館が紹介された。

 4月6日 東北関東大震災チャリティー いのちをつなぐコンサートが二階大広間で開催される。震災のことを考えながらはじめての生演奏を聞くことができた。また、5月2日~7日物産展「ふくしまから生まれた ひと モノ こころ」一階ホールで開催された。

 5月6日には、湖東定住自立圏地域創造事業「ヴォーリズ建築旧日夏村役場再発見事業」が採択され、6月5日には第一回の旧日夏村役場建物調査委員会を開催し、本格的に調査報告書作りが動き出すことになった。
 そして、嬉しいことに、7月19日 ヴォーリズ建築事務所で図面の写真撮影させていただいたが、41点の設計図が残されていた。
 8月7日には、石井和浩氏をむかえて「ヴォーリズ建築旧日夏村役場再発見事業」旧日夏村役場見学会・中間報告会開催することができた。

 ところが、9月3日大型台風12号のため南の入口の袖壁が崩落してしまった。これは、修復の必要性を認識していた部分ではあったが、遅かりし・・・。

 9月4日から滋賀県立大学迫田先生ほかによる建物現地調査が開始された。

10月2日、日夏里館を利用いただいていた日夏町自治会が移転され、10月9日新築日夏町公民館が開館された。
 ところが、新公民館への移設をお願いした地域の時報サイレンは、10月10日に止められ、11月15日撤去された。いろいろ思うところはあるが、機会があればお伝えしたい。

 11月23日には、第3回目の日夏里館フェスタが開催された。歴史講演会、日夏を代表する日本画家寺嶋白耀氏の絵画の特別展示やフラダンスもあった。

 12月17日、旧豊郷小学校講堂で開催された「湖東地域の歴史的建造物を活かしたまちづくり-地域住民参加によるシンポジウム- 第2回目の午後多くの方にお越しいただくことができた。その企画は、旧愛知郡役所庁舎の保存活用を目指す「こころばえの会」主催で学ぶことも多かった。

 12月23日には、日夏のまち歩きを行うヒナツクエスト、県立大学生によるプロジェクトで、参加者から私の気づかないの点などを指摘いただくことができた。

 12月17日講演された川端五兵衛氏の言葉を日夏に当てはめて考えると、次のようになるのではないでしょうか。

 「日夏村役場と産業組合の合同庁舎は歴史的に日夏発展、日夏のまちづくりの原点だった。この建物の傷みは、日夏の人の心の傷み(痛み・・・)だった。この建物が村役場と農協の機能を失ったあと、まちづくりに真剣に取り組まなくなったことが原因だ。昔は日夏の人々はこの建物を自慢し心から愛していた。建物は自然に朽ち果ててきたのではない。日夏の人たち自身が傷め朽ちさせた張本人である。」そして、「この建物が無くなった瞬間から後悔が始まる」ということが本当ではないか。

 そんなことを再確認したこの一年であり、やはり多くの方々に支援をいただいた一年でした。

 3月17日午後には最終報告会を計画中ですが、それにしても傷んだ建物の修復と保存への道は、まだまだこれからで、どこまでできるのかは?。

 最後に、今日の元旦会の様子を追加しておきたいと思います。





Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 12:44 Comments( 0 ) メモ
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日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。