日系2世・3世・4世の来訪
6月28日午後天候が心配だったのですが、日系2世と3世(その子)と4世(その子ども)の方が日夏においでになりました。
せっかくの機会ですので、日夏小学校はなくなっているため、日夏村役場の建物にご案内しました。

旧日夏村役場の建物である日夏町民会館「日夏里館」の一階ホールには、昔の写真などを展示しています。
懐かしい昔の写真を見ながら話が弾みました。
また、地域に残されていたシアトルの写真を見ながら色々なことを聞くことが出来ました。
アメリカでは、日系の一族が集まってパーティー等をされる機会もあり、集合写真なども拝見することが出来ました。
それでも、日本語が分る日系二世からいろいろお聞きしておくべきことも多いように思われました。
関係者のお宅にも案内し、一世が1962年里帰りして宇曽川堤の桜を愛でて詠んだ歌の歌碑が宇曽川の畔にあるため、せっかくですのでそこにも案内しました。
宇曽川の水のなか(流)れとはな(花)を見て
かた(語)り合ひけるけふ(今日)のうれしき
最後に荒神山の頂上までドライブして琵琶湖を見下ろし、湖東の平野の様子を見ていただきました。
それでもアメリカへ渡り、勤勉に働き、苦労しながらその地で家族をもり立ててきた人々の歴史を、聞き伝えることも大切と思われます。
それも急ぐ必要がありそうです。
せっかくの機会ですので、日夏小学校はなくなっているため、日夏村役場の建物にご案内しました。
旧日夏村役場の建物である日夏町民会館「日夏里館」の一階ホールには、昔の写真などを展示しています。
懐かしい昔の写真を見ながら話が弾みました。
また、地域に残されていたシアトルの写真を見ながら色々なことを聞くことが出来ました。
アメリカでは、日系の一族が集まってパーティー等をされる機会もあり、集合写真なども拝見することが出来ました。
それでも、日本語が分る日系二世からいろいろお聞きしておくべきことも多いように思われました。
関係者のお宅にも案内し、一世が1962年里帰りして宇曽川堤の桜を愛でて詠んだ歌の歌碑が宇曽川の畔にあるため、せっかくですのでそこにも案内しました。
宇曽川の水のなか(流)れとはな(花)を見て
かた(語)り合ひけるけふ(今日)のうれしき
最後に荒神山の頂上までドライブして琵琶湖を見下ろし、湖東の平野の様子を見ていただきました。
それでもアメリカへ渡り、勤勉に働き、苦労しながらその地で家族をもり立ててきた人々の歴史を、聞き伝えることも大切と思われます。
それも急ぐ必要がありそうです。
田圃は中干期
田植えの後の稲も良く育つてきています。
分けつがだいぶ進んできているため、先日は、田の中を歩いて目で確認してヒエ(稗)やい草などの除去をしました。
田の中を歩くとおたまじゃくし(カエルの子ども)やミズスマシをはじめ色々な生き物が見られます。
ある田ではヒルも見られました。

これは、6月14日の写真です。歩いた足跡が少し見えるでしょうか?
この作業をした後で水田の水を落としして、中干しをすることになります。
また、雨も多く、田の畦草も少し伸びてきたので、草刈り機会を用いて畦草刈りも実施しました。
雨の隙間にも農作業は色々しなければならないのです。
日夏の周辺の景色もどんどん変わっていっています。
分けつがだいぶ進んできているため、先日は、田の中を歩いて目で確認してヒエ(稗)やい草などの除去をしました。
田の中を歩くとおたまじゃくし(カエルの子ども)やミズスマシをはじめ色々な生き物が見られます。
ある田ではヒルも見られました。
これは、6月14日の写真です。歩いた足跡が少し見えるでしょうか?
この作業をした後で水田の水を落としして、中干しをすることになります。
また、雨も多く、田の畦草も少し伸びてきたので、草刈り機会を用いて畦草刈りも実施しました。
雨の隙間にも農作業は色々しなければならないのです。
日夏の周辺の景色もどんどん変わっていっています。
コミュニティ・ビジネスをめぐって
あまり記事を投稿できていないのですが色々なことがあります。
日夏里館(日夏町民会館の愛称)の利用団体代表者会議も、去る6月20日には第5回になりました。
この過程で、コミュニティ・ビジネスのことが話題になりました。最初あまり気づいていなかったのですが、地域のまちづくりの中で、お互いが顔の見える関係でのささやかなビジネスが成り立つような条件整備が必要ではないかとのことで、にわか勉強をすることになりました。
早速、次のような本を購入してみました。

細内信孝氏は、コミュニティ・ビジネスについて、地域コミュニティを基点にして、住民が主体となり、顔の見える関係のなかで営まれる事業。地域コミュニティでいままで眠っていた労働力・原材料・ノウハウ・技術などの資源を活かし、地域住民が主体となって自発的に地域の問題に取り組み、やがてビジネスとして成立させていく、コミュニティの元気づくりを目的にした事業活動とされています。
鵜飼修氏は、コミュニティビジネスの本質的効用は、自立までには至らないが、その適用過程において、地域コミュニティを創造することにある。地域コミュニティとは、互いに顔の見える、会えばあいさつを交わす、困ったときは助け合う、人々がつながりあって構成される集団を言う。コミュニティ・ビジネスとは、その”つながり”を生み出す手法。ソーシャル・キャピタルの創出手法のひとつであるとも言える。
コミュニティ・ビジネスとは、地域を舞台とした、人間らしい「つながり」を創出する手法とされています。
日夏里館をとおして、人と人のつながりを生み出す手法としてのコミュニティ・ビジネスが成り立ち、地域の人々のつながりが深まっていけば、すばらしいと思います。
しかし、それが成り立つために何もしなくて良いのではなく、自治会や行政、あるいは中間支援機構等の理解や支援が大切であることは言うまでもないように思われます。
日夏里館(日夏町民会館の愛称)の利用団体代表者会議も、去る6月20日には第5回になりました。
この過程で、コミュニティ・ビジネスのことが話題になりました。最初あまり気づいていなかったのですが、地域のまちづくりの中で、お互いが顔の見える関係でのささやかなビジネスが成り立つような条件整備が必要ではないかとのことで、にわか勉強をすることになりました。
早速、次のような本を購入してみました。
細内信孝氏は、コミュニティ・ビジネスについて、地域コミュニティを基点にして、住民が主体となり、顔の見える関係のなかで営まれる事業。地域コミュニティでいままで眠っていた労働力・原材料・ノウハウ・技術などの資源を活かし、地域住民が主体となって自発的に地域の問題に取り組み、やがてビジネスとして成立させていく、コミュニティの元気づくりを目的にした事業活動とされています。
鵜飼修氏は、コミュニティビジネスの本質的効用は、自立までには至らないが、その適用過程において、地域コミュニティを創造することにある。地域コミュニティとは、互いに顔の見える、会えばあいさつを交わす、困ったときは助け合う、人々がつながりあって構成される集団を言う。コミュニティ・ビジネスとは、その”つながり”を生み出す手法。ソーシャル・キャピタルの創出手法のひとつであるとも言える。
コミュニティ・ビジネスとは、地域を舞台とした、人間らしい「つながり」を創出する手法とされています。
日夏里館をとおして、人と人のつながりを生み出す手法としてのコミュニティ・ビジネスが成り立ち、地域の人々のつながりが深まっていけば、すばらしいと思います。
しかし、それが成り立つために何もしなくて良いのではなく、自治会や行政、あるいは中間支援機構等の理解や支援が大切であることは言うまでもないように思われます。
タグ :コミュニティ・ビジネス
楽しくゲーム
月4回木曜日に、近所の高齢者を対象に木曜ハウスが開かれています。
会場は旧日夏村役場の議場の一角、二階の小和室を利用して行なわれています。
参加者とのゲームや体操なども、ゆったり広い広間も利用されています。
二階はそもそも94畳の大広間で議場だったのです。

これは輪投げをして遊んでいるところです。
広い場所があるので色々なゲームなどもでき、毎回違ったメニューで実施されています。
もちろん、ボランティアスタッフが色々考えながら実施されています。
この輪投げもなかなか思うとおりに入らず、ボランティアスタッフも一生懸命になるほどだったようです。
また、人気があったメニューの一つに紙飛行機飛ばしがあったようです。
上敷きの線が平行してあるため、とんだ距離を比べるのに最適だったようです。
紙を折って紙飛行機をつくり、童心に返って飛ばし合をしたそうです。
その時の写真がないのが、ちょっと残念です。
会場は旧日夏村役場の議場の一角、二階の小和室を利用して行なわれています。
参加者とのゲームや体操なども、ゆったり広い広間も利用されています。
二階はそもそも94畳の大広間で議場だったのです。

これは輪投げをして遊んでいるところです。
広い場所があるので色々なゲームなどもでき、毎回違ったメニューで実施されています。
もちろん、ボランティアスタッフが色々考えながら実施されています。
この輪投げもなかなか思うとおりに入らず、ボランティアスタッフも一生懸命になるほどだったようです。
また、人気があったメニューの一つに紙飛行機飛ばしがあったようです。
上敷きの線が平行してあるため、とんだ距離を比べるのに最適だったようです。
紙を折って紙飛行機をつくり、童心に返って飛ばし合をしたそうです。
その時の写真がないのが、ちょっと残念です。
日夏城跡の清掃活動
日夏をめぐって色々なことがあります。
去る5月29日には、新緑の荒神山の遺跡見学会と日夏城跡の清掃活動が実施されました。
天候もすばらしく、城跡のある尾根にあがると湖岸からの涼しい風が感じられました。
今回は初めての試みで、日夏城跡の清掃活動でした。

城跡は子どもたちが通るウオークラリーのコースの一角にあります。赤白の設置物はその関係ですが、子どもたちは何も知らずに歩いているようです。
写真の場所は日夏城で最も高い位置にある曲輪で、右側は顕著な土塁が認められます。今回はこの場所を清掃したのですが、この場所の清掃前はこんな様子でした。

城跡は段々になっていて、今回清掃に努めたのは一番小さな曲輪です。この日最初の集合地だった唐崎神社側に長く連なっています。しかし、唐崎神社側から登ってくると、お城に差し掛かる急斜面となり、自然の要害になっていることも実感できます。
きっとこの城跡の雑木等を除去すると、古い山城の様子がよく分るようになることは間違いなく、山上に広場が出現することになるでしょう。
この城跡は日夏越前守の城と伝承され、永禄3年(1560)磯野丹波守がこの城を攻めたが、要害のため退却したといいます。
この日は彦根おやじの会の方も参加下さいました。
みなさん、また力を貸して頂けませんか。
日が良すぎたためか、当日のメンバーはこれだけでした。

宇曽川唐崎公園にある石碑の前での記念撮影ですが、石碑は1952年4月アメリカのシアトルから里帰りした人が宇曽川の水と宇曽川堤の桜を見て読まれた歌が刻まれています。
日夏からはアメリカ移民が多く排出した、アメリカに関係深い村です。
また紹介したいと思います。
去る5月29日には、新緑の荒神山の遺跡見学会と日夏城跡の清掃活動が実施されました。
天候もすばらしく、城跡のある尾根にあがると湖岸からの涼しい風が感じられました。
今回は初めての試みで、日夏城跡の清掃活動でした。
城跡は子どもたちが通るウオークラリーのコースの一角にあります。赤白の設置物はその関係ですが、子どもたちは何も知らずに歩いているようです。
写真の場所は日夏城で最も高い位置にある曲輪で、右側は顕著な土塁が認められます。今回はこの場所を清掃したのですが、この場所の清掃前はこんな様子でした。
城跡は段々になっていて、今回清掃に努めたのは一番小さな曲輪です。この日最初の集合地だった唐崎神社側に長く連なっています。しかし、唐崎神社側から登ってくると、お城に差し掛かる急斜面となり、自然の要害になっていることも実感できます。
きっとこの城跡の雑木等を除去すると、古い山城の様子がよく分るようになることは間違いなく、山上に広場が出現することになるでしょう。
この城跡は日夏越前守の城と伝承され、永禄3年(1560)磯野丹波守がこの城を攻めたが、要害のため退却したといいます。
この日は彦根おやじの会の方も参加下さいました。
みなさん、また力を貸して頂けませんか。
日が良すぎたためか、当日のメンバーはこれだけでした。
宇曽川唐崎公園にある石碑の前での記念撮影ですが、石碑は1952年4月アメリカのシアトルから里帰りした人が宇曽川の水と宇曽川堤の桜を見て読まれた歌が刻まれています。
日夏からはアメリカ移民が多く排出した、アメリカに関係深い村です。
また紹介したいと思います。