ヴォーリズさん 誰?
相変わらず寒い。
ところで、17日~19日に開かれた県立大学の地域コミュニケーション論に地域人として参加しましたが、実は本人にこそコミュニケーション力が必要なことを再確認しました。
その中で、ヴォーリズ建築の日夏村役場について、外国人のツアーが企画できるといいのではないかとの提案をいただきました。県立大学には国際コミュニケーション学科があり、実現するといいなと思いました。また、近江楽座の制度もあり、意欲のある学生プロジェクトで実現を検討するのもいいのではないかと思いました。
そして、「ヴォーリズ」を知っているのは一部の人だけで、それを好きな人だけが知っているのみで、ヴォーリズさんとヴォーリズ建築をまたまだ多くの人が知らないことを前提に考えるべきかと貴重な意見をいただきました。アメリカ移民が多い村で、建てられた洋風建築であることを大切にし、つい省略してしまいがちなヴォーリズさん、ヴオーリズ建築の基礎から発信することを忘れないでおくことが大切かと思いました。
感謝です。


今日は天気が良いので荒神山ウォークに出かけました。多くの人が林道のウォーキングを楽しんでいました。市民の憩いの山となっており、彦根市のセントラルパークになること切望したい。そして、荒れた林の中に気づき、散歩する人々と共によりよい宝の山になるようになっていくことを期待したい。
そう、二度とひどい皆伐事件が起こらないように。
ところで、17日~19日に開かれた県立大学の地域コミュニケーション論に地域人として参加しましたが、実は本人にこそコミュニケーション力が必要なことを再確認しました。
その中で、ヴォーリズ建築の日夏村役場について、外国人のツアーが企画できるといいのではないかとの提案をいただきました。県立大学には国際コミュニケーション学科があり、実現するといいなと思いました。また、近江楽座の制度もあり、意欲のある学生プロジェクトで実現を検討するのもいいのではないかと思いました。
そして、「ヴォーリズ」を知っているのは一部の人だけで、それを好きな人だけが知っているのみで、ヴォーリズさんとヴォーリズ建築をまたまだ多くの人が知らないことを前提に考えるべきかと貴重な意見をいただきました。アメリカ移民が多い村で、建てられた洋風建築であることを大切にし、つい省略してしまいがちなヴォーリズさん、ヴオーリズ建築の基礎から発信することを忘れないでおくことが大切かと思いました。
感謝です。
今日は天気が良いので荒神山ウォークに出かけました。多くの人が林道のウォーキングを楽しんでいました。市民の憩いの山となっており、彦根市のセントラルパークになること切望したい。そして、荒れた林の中に気づき、散歩する人々と共によりよい宝の山になるようになっていくことを期待したい。
そう、二度とひどい皆伐事件が起こらないように。
よろず淡日 思いを求めて
今日の午後は、日夏村役場事務室談話会、淡日(あわひ)の疋田実さんの話題提供でした。

自分の思うところを追い求めてこられ、たどり着かれた日夏でのよろづ屋「淡日」の開店。興味深いお話でした。

大正期に曾祖父に開かれ、お祖父さんが引き継いでいたよろず屋、昔の写真も拝見しました。お祖父さんが亡くなられの、閉店したが、年に1・2回墓参りに帰り、変化を見てこられたそうです。
お父さんは大阪に出られ、実さんは1960年大阪生まれで、大阪の人々の暮らしを見てこられたとのこと。一時は仏師を志願したが断念し、福祉の道を選び、日本福祉大学卒業後、山本恪二彫塑研究所、武蔵野美術短大で彫塑・絵画を学んだ後、学童保育の指導員を経て、家具製造に従事しながら骨董・古道具、現代美術、知的障がいを持つ人の作品などの関心を深めたとのこと。そして、2013年11月には杉並区のギャラリーブリキ星で、「そこここ 遊通して ひとつ -古道具と天衣無縫のものたちの試み-」の展示会を開かれ、日夏で「淡日」開設準備も進められた。リーフレット裏面にはぎっしり想いが書き綴られていてビックリしました。


2015年8月によろず屋「淡日」を奥様と開店され、色々な取り組みをされてきています。屋根の上に櫓を設け、日夏の集落、荒神山などを一望できるようにし、そんな風景もよろずに取り込みを目指して居られるようです。昨2016年9月11日の現代アート展も興味深いものでした。

4月22・23日には元・立誠小学校で開かれる「京都ふるどうぐ市2017」にも出展されるとのこと。5月には彦根アートウォークに参加される。
お祖父さんの店を復活させての取り組み、Iターンの1人でしょうか。日夏に新しい風を吹き込んで居られるお二人に、エールを送りたいと思います。
店内には色々な物が置かれ、すべて関連があるようです。

金・土・日・月と祝日の11時~18時に開店されています。朝鮮人街道沿いに店があります。是非、一度訪ねてみて下さい。
よろず淡日 ☎0749-49-3890
自分の思うところを追い求めてこられ、たどり着かれた日夏でのよろづ屋「淡日」の開店。興味深いお話でした。
大正期に曾祖父に開かれ、お祖父さんが引き継いでいたよろず屋、昔の写真も拝見しました。お祖父さんが亡くなられの、閉店したが、年に1・2回墓参りに帰り、変化を見てこられたそうです。
お父さんは大阪に出られ、実さんは1960年大阪生まれで、大阪の人々の暮らしを見てこられたとのこと。一時は仏師を志願したが断念し、福祉の道を選び、日本福祉大学卒業後、山本恪二彫塑研究所、武蔵野美術短大で彫塑・絵画を学んだ後、学童保育の指導員を経て、家具製造に従事しながら骨董・古道具、現代美術、知的障がいを持つ人の作品などの関心を深めたとのこと。そして、2013年11月には杉並区のギャラリーブリキ星で、「そこここ 遊通して ひとつ -古道具と天衣無縫のものたちの試み-」の展示会を開かれ、日夏で「淡日」開設準備も進められた。リーフレット裏面にはぎっしり想いが書き綴られていてビックリしました。

2015年8月によろず屋「淡日」を奥様と開店され、色々な取り組みをされてきています。屋根の上に櫓を設け、日夏の集落、荒神山などを一望できるようにし、そんな風景もよろずに取り込みを目指して居られるようです。昨2016年9月11日の現代アート展も興味深いものでした。
4月22・23日には元・立誠小学校で開かれる「京都ふるどうぐ市2017」にも出展されるとのこと。5月には彦根アートウォークに参加される。
お祖父さんの店を復活させての取り組み、Iターンの1人でしょうか。日夏に新しい風を吹き込んで居られるお二人に、エールを送りたいと思います。
店内には色々な物が置かれ、すべて関連があるようです。

金・土・日・月と祝日の11時~18時に開店されています。朝鮮人街道沿いに店があります。是非、一度訪ねてみて下さい。
よろず淡日 ☎0749-49-3890
地域でのまなび
1月につづいて2月に入って人生の先輩の葬儀に立ち会った。やはり悲しいことだが、いずれ行く道と思うと何とも気が急く。人間のはかないことは、御文章(白骨章)に述べられているところである。自らの課題と思うことを少しでも進めておくことの必要性を感じる。

式場に飾られていた個人の作品に感心した。地元妙楽寺集会所で行われていた書道・俳画とうの教室での学びの成果とのこと。講師は岡野さんとか。今日では開かれていないが、手芸クラブととともに学びの場があり、地元の文化祭にも作品が出品されていたとのこと。地域での学びに驚かされた。
ところで、県立大学の「地域社会と女性キャリア創生」講座では、人生をトータルに捉えることの必要性を教えられた。でもこれまで染みついた仕事中心の考えに捕らわれていることをも痛感させられた。そして、米スタンフォード大学教授のジョン・クランボルツらが1999年に発表したギャリア論「プランドハプンスタンス」とは、計画された偶然性という意味で、「自分のキャリアは自分自身で意図的に形成していくもの」という従来型のキャリア論の限界を指摘したとのこと。ただし、単なる運命論ではなく、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。だからこそ、そうした偶然にただ身をゆだねるだけでなく、自ら良い偶然を引き寄せるべく常に準備が必要」というのが主張の核。そして、「好奇心」「持続性」「柔軟性」「楽観性」「冒険心」という5つの行動特性を持った人に良い偶然が起きやすいと説いているという。好奇心は持っているつもりであるが、考えておきたい。
式場に飾られていた個人の作品に感心した。地元妙楽寺集会所で行われていた書道・俳画とうの教室での学びの成果とのこと。講師は岡野さんとか。今日では開かれていないが、手芸クラブととともに学びの場があり、地元の文化祭にも作品が出品されていたとのこと。地域での学びに驚かされた。
ところで、県立大学の「地域社会と女性キャリア創生」講座では、人生をトータルに捉えることの必要性を教えられた。でもこれまで染みついた仕事中心の考えに捕らわれていることをも痛感させられた。そして、米スタンフォード大学教授のジョン・クランボルツらが1999年に発表したギャリア論「プランドハプンスタンス」とは、計画された偶然性という意味で、「自分のキャリアは自分自身で意図的に形成していくもの」という従来型のキャリア論の限界を指摘したとのこと。ただし、単なる運命論ではなく、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。だからこそ、そうした偶然にただ身をゆだねるだけでなく、自ら良い偶然を引き寄せるべく常に準備が必要」というのが主張の核。そして、「好奇心」「持続性」「柔軟性」「楽観性」「冒険心」という5つの行動特性を持った人に良い偶然が起きやすいと説いているという。好奇心は持っているつもりであるが、考えておきたい。