Planner作戦会議1 協力者募集中
今日はヒナツクエストのPlanner作戦会議1
日夏のカルタを作る会でした。

まずはTeamQ代表梅谷さんの説明。

それからはいざ町の中へ。素材発見のために。

日夏里館へ戻って情報の整理とカルタ作り。

この作戦はさらに続きます。
協力者も募集中です。

協力いただける方は、滋賀県立大学院生梅谷さん(090-4445-7463)へ
今日は大変上天気でした。
午前中は草取りでした。

いろいろ思いめぐらせながらの作業でした。
日夏のカルタを作る会でした。

まずはTeamQ代表梅谷さんの説明。

それからはいざ町の中へ。素材発見のために。

日夏里館へ戻って情報の整理とカルタ作り。

この作戦はさらに続きます。
協力者も募集中です。

協力いただける方は、滋賀県立大学院生梅谷さん(090-4445-7463)へ
今日は大変上天気でした。
午前中は草取りでした。

いろいろ思いめぐらせながらの作業でした。
タグ :カルタ
日夏村村会議場の大時計
ヴォーリズ建築事務所の設計により、昭和10年に1935年に完成した日夏村役場。その二階94畳の大広間は村会議場でした。
8月7日の旧日夏村役場見学会・中間報告会、この日に参加いただいた「近江群青」さんの当日夜のブログの最後に、日夏村村会議場の大時計が掲載されていました。

この大時計は、建物のオープンと同じ昭和10年4月に寄贈されたものでした。
高さが1m64㎝もあります。

在郷軍人会日夏村分会および日夏村青年団の寄贈であったことが、内部に取り付けらた銘板から判明します。年月と納品したのが堀部時計店であったことも銘板からわかります。
1935年から76年間もこの大広間で繰り広げられた議論や、様々な公民館としての活動などなどを見守ってきた大時計です。
古時計の歌ではありませんが、今は動かない時計ですが、私たちのおじいさんの時代を私たちに伝えてくれる証人になってくれることと思います。
この大時計を議場とともに大切にし、伝えていきたいと思います。
実は竣工時の大広間の記念写真にも端にしっかり写っていました。
メーカーは、SEIKOSHAでした。
8月7日の旧日夏村役場見学会・中間報告会、この日に参加いただいた「近江群青」さんの当日夜のブログの最後に、日夏村村会議場の大時計が掲載されていました。
この大時計は、建物のオープンと同じ昭和10年4月に寄贈されたものでした。
高さが1m64㎝もあります。

在郷軍人会日夏村分会および日夏村青年団の寄贈であったことが、内部に取り付けらた銘板から判明します。年月と納品したのが堀部時計店であったことも銘板からわかります。
1935年から76年間もこの大広間で繰り広げられた議論や、様々な公民館としての活動などなどを見守ってきた大時計です。
古時計の歌ではありませんが、今は動かない時計ですが、私たちのおじいさんの時代を私たちに伝えてくれる証人になってくれることと思います。
この大時計を議場とともに大切にし、伝えていきたいと思います。
実は竣工時の大広間の記念写真にも端にしっかり写っていました。
メーカーは、SEIKOSHAでした。
彦根から北米へ
「彦根から北米大陸へ-古写真で振り返る北米移民の暮らし-」の写真展は今日までです。
8月14日午後の昔語りの会では、彦根市史編さん室で収集された資料から、
カナダ移民を中心に小林氏から説明がありました。

日夏は圧倒的にアメリカ移民が多く、これまであまり紹介されていませんでしたが、今回はその点も展示の中で紹介されています。
参加者から明治39年(1906)や明治41年(1908)のアメリカからの手紙なども紹介されていました。


また、大正12年(1923)の電気按摩器などは日夏に漸く電灯がともるようになった頃のことで、その文化的差の大きかったことが予想されます。
明治29年の大水害で移民生まれたなどと言われることがあったのですが、北米移民の賃金が日本に比べ高く、出稼ぎに行っていたことが明らかであるとのことでした。
アメリカの日本人社会はきわめて親族関係や同郷の人びととの関係を大切にしてきたようですが、世代交代をする中で日本の親戚との関係も途絶えがちになってきているようです。
両者からの聞き取りも大切であることが強く認識できたところです。
移民や出稼ぎ関係資料もまだまだ残されているのではないかと思いますが?
8月14日午後の昔語りの会では、彦根市史編さん室で収集された資料から、
カナダ移民を中心に小林氏から説明がありました。
日夏は圧倒的にアメリカ移民が多く、これまであまり紹介されていませんでしたが、今回はその点も展示の中で紹介されています。
参加者から明治39年(1906)や明治41年(1908)のアメリカからの手紙なども紹介されていました。


また、大正12年(1923)の電気按摩器などは日夏に漸く電灯がともるようになった頃のことで、その文化的差の大きかったことが予想されます。
明治29年の大水害で移民生まれたなどと言われることがあったのですが、北米移民の賃金が日本に比べ高く、出稼ぎに行っていたことが明らかであるとのことでした。
アメリカの日本人社会はきわめて親族関係や同郷の人びととの関係を大切にしてきたようですが、世代交代をする中で日本の親戚との関係も途絶えがちになってきているようです。
両者からの聞き取りも大切であることが強く認識できたところです。
移民や出稼ぎ関係資料もまだまだ残されているのではないかと思いますが?
タグ :北米移民
8/14 語る会 彦根から北米大陸へ
ちょっと紹介が遅くなってしまいましたが、
8月16日まで「彦根から北米大陸へ」の写真展が開かれています。
会場は日夏里館一階ホールです。

特に、8月14日(日)14時から「北米移民の歴史を振り返る昔語りの会」が開かれます。
北米移民ゆかりの品も数多く残っていることでしょう。
また、エピソードなども・・・
勿論無料 お気軽に参加下さいとのことです。
8月16日まで「彦根から北米大陸へ」の写真展が開かれています。
会場は日夏里館一階ホールです。

特に、8月14日(日)14時から「北米移民の歴史を振り返る昔語りの会」が開かれます。
北米移民ゆかりの品も数多く残っていることでしょう。
また、エピソードなども・・・
勿論無料 お気軽に参加下さいとのことです。
地震に強いヴォーリズ建築
昨日8月7日は大変忙しい一日でした。
9:00~11:30まで日夏まちかど探検の第四回目として安田・五僧田・筒井の集落を歩きました。
限られた時間ながら、安田の本覚寺では坊守さんから寺の歴史に関係してお話しをいただきました。
五僧田の成宮惣右衛門家の民家の中も案内いただきました。
筒井では太鼓や寛政3年(1791)の鉦も確認しました。
また、銘酒「筒ヶ井」の盃の現物も見せていただくなどしました。
午後は勿論、旧日夏村役場の見学会および講演会でした。

講演のタイトルは 「人に優しいヴォーリズ建築 -各地の再生活動から-」
講師は、NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会理事で、旧日夏村役場建物調査委員をお願いしている石井和浩氏。
八幡郵便局の再生に取り組んでおられる経験と、各地への広がりを紹介いただくと共に、ヴォーリズ建築の特徴についてお話しいただきました。
建物の風格は人間の人格と同じく、その外観よりもむしろ内容にあります。との、現代に通用するヴォーリズの考え方なども紹介いただき、更に学んでみたくなりました。
お話しの中で、人に優しいヴォーリズ建築は、阪神大震災でも今年の東日本大震災でも震災に強い建物であったとのことを聞いて、少し嬉しくなりました。
傷みがあり改修が必要ですが、この日夏の建物が、ますます、日夏や周辺のみなさんに愛され、活用されていくことを期待したくなりました。
そして、夜には旧日夏村役場建物調査委員会。
一粒社ヴォーリズ建築事務所に保存されていた日夏村役場の建物設計図を確認いただきながら、建物調査報告書づくりを目指して議論をいただきました。
本当に、忙しく、しかし充実した一日でした。
ありがとうございました。
9:00~11:30まで日夏まちかど探検の第四回目として安田・五僧田・筒井の集落を歩きました。
限られた時間ながら、安田の本覚寺では坊守さんから寺の歴史に関係してお話しをいただきました。
五僧田の成宮惣右衛門家の民家の中も案内いただきました。
筒井では太鼓や寛政3年(1791)の鉦も確認しました。
また、銘酒「筒ヶ井」の盃の現物も見せていただくなどしました。
午後は勿論、旧日夏村役場の見学会および講演会でした。
講演のタイトルは 「人に優しいヴォーリズ建築 -各地の再生活動から-」
講師は、NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会理事で、旧日夏村役場建物調査委員をお願いしている石井和浩氏。
八幡郵便局の再生に取り組んでおられる経験と、各地への広がりを紹介いただくと共に、ヴォーリズ建築の特徴についてお話しいただきました。
建物の風格は人間の人格と同じく、その外観よりもむしろ内容にあります。との、現代に通用するヴォーリズの考え方なども紹介いただき、更に学んでみたくなりました。
お話しの中で、人に優しいヴォーリズ建築は、阪神大震災でも今年の東日本大震災でも震災に強い建物であったとのことを聞いて、少し嬉しくなりました。
傷みがあり改修が必要ですが、この日夏の建物が、ますます、日夏や周辺のみなさんに愛され、活用されていくことを期待したくなりました。
そして、夜には旧日夏村役場建物調査委員会。
一粒社ヴォーリズ建築事務所に保存されていた日夏村役場の建物設計図を確認いただきながら、建物調査報告書づくりを目指して議論をいただきました。
本当に、忙しく、しかし充実した一日でした。
ありがとうございました。