2017年09月25日

日夏里館だより22号 10月1日号

日夏里館だより22号 10月1日号が出来ましたのでお届けします。













Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 19:36 Comments( 0 ) 日夏木曜ハウス 日夏里館

2017年09月16日

地元学研修

15日には滋賀県庁2年目の職員8名が、地元学研修とのことでお見えになりました。荒木敬之さんと当方が対応し、日夏里館のこと、泉エコクラブのこと、日夏の現地見学。午後も地域の人に加わっていただき、聞き取り。

県職のベテランであった荒木さんからは、先輩としての含蓄のある多くのお話をされていました。
当方は、少し予定が狂い、昼休みに籾を乾燥機に搬入したり、ドタバタ。
矛盾に満ちた地域で、突然に当事者になり、悪戦苦闘している人間がいることくらいしか示せなかったのですが、お役に立ったのか心配です。

今日16日は朝から雨。実は5時30分頃からでした。
16日(土)~18日(月)に稲刈りと籾摺りを計画していました。しかし、15日から18日は雨で、大型の台風が接近するとのことで、急遽14日・15日に稲刈りを実施することになりました。

幸い稲刈りは両日に終了したのですが、手刈りした四隅の稲束の片付けが出来なかったので、雨が降り出す前に大半片付けることができやれやれ。5時30分のお寺の鐘の音も聞くことも出来ました。
それから、9時頃から臼スリの準備をし、臼スリを行い、臼スリ後の片付けとフル回転で、へとへとです。
むかしの人はもっと大変だったことでしょうね。少しだけ体験した感じかな?




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 22:47 Comments( 0 ) 活動メモ

2017年09月12日

延寿寺 多彩な取り組み

今日9月12日は、月に一度の日夏村役場事務室談話会。


今回の話題提供は、延寿禅寺住職の横井元昌さん。
「多くの人々が心の安らぎを求めて訪れる延寿禅寺に」と題して、多数の写真を交えてお話しいただきました。

延寿寺は、荒神山南側山裾にある臨済宗永源寺派の禅寺で、古くは大きな寺院だったようで、元天台宗の寺院とのこと。

 寺伝によると、創建は今を去る千二百年の昔、天平勝宝749年聖武天皇が東大寺大仏を建立せられるにあたり、僧行基によって四十九院を建立された四天王格の寺院でした。
創建当時は、荒神山奥の院(今の荒神山神社)を奥の院として湖東平野、愛知犬上両郡に四十九院の寺院があったと伝えられています。
 平安時代になりますと、天台宗が隆盛を極め、境内の上には宝塔、諸堂伽藍がならび、山麓には十坊が甍をつらねていました。十坊とは、福泉坊・西行坊・来徳坊・来福坊・善徳坊・善満坊・覚前坊・千日坊・福蔵坊・実蔵坊であり、他境内には静林寺があり、現在でも、蓮池・南大門・北大門等の地名が残っており、当時は広大であったことがうかがわれます。
 元亀、天正の頃(1580年)織田信長の兵火にあい、お堂がことごとく消亡し、わずかに本尊観世音菩薩の尊像一体が火焔の中より出現されて、一僧が背負って荒神山の宮殿に運び込んだと記してあります。それが、鎌倉時代の十一面観音坐像(彦根市指定文化財)とのこと。
 建物の焼失後四十数年を経て、山麓の人たちがこの寺の廃亡をなげき、菩薩の尊像を迎えて再興をはかり、永源寺八十一世如雪文岩禅師を迎え、禅刹として復興しました。禅師の弟子拙心正千禅師が住山せられるや、遠近の人々の帰依が多く、ならびに井伊家、家老中川琳庵等の外護により、本堂以下諸堂伽藍建立なりり法灯が再び栄え、三百年を経て現在に至っているとのこです。

 檀家は40軒、稲里・甲崎・田原・出路・彦富に広がっていて、再興時地域の有力者だったと考えられます。
 寺では4月上旬のライトアップ、8月16日の万灯会、11月17日~30日の紅葉ライトアップ、12月31日の除夜の鐘付き放題を開催し、禅寺体験では、座禅会・写経会・小坊主体験、人々の交流の場としてお茶会・落語会・俳句会・南京玉すだれ・大正琴コンサート等を開催し、「ひこねまちかふぇプロジェクト」にも参加されているとのこと。
 宗派を越えて、「お寺は人の集いの場であり、心の通うコミュニティをつくる場にしていきたい。」と考えておられるようです。
 荒神山を取り巻く重要拠点の一つとして、連携を深めていきたいと思いました。モミジも多く、秋のライトアップに行ってみたい。
                   (延寿寺のホームページを参照しました。)




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 18:20 Comments( 0 ) 活動メモ 各地の取り組み

2017年09月03日

104年前 日夏小学校の遺品

 多賀大社門前でカフェを営まれている「多賀あさひや」さんから、旧日夏小学校関係の遺品をいただきました。
 それは、径6.0㎝の盃です。外側面に「日夏尋常高等小学校落成式」と書かれ、見込みには「祝」の金文字と、絵が描かれています。裏には「九谷」の朱書もあります。


 明治41年(1908)小学校令が改正され、2年制の高等科は義務教育内に含まれることになり、義務教育が6年に延長になります。「日夏尋常高等小学校」は同年4月1日より高等科二学年を併設しました。このため、隣接の字海道ノ上・地蔵堂の土地約三反を買い入れ、8月に一期工事に着手、同年10月に竣工。明治45年10月二期工事に着手し、大正2年(1913)に竣工、3月15日に校舎の落成式を挙行しています。
 提供いただいた落成記念の盃は、大正2年3月15日の落成記念のものと思うのですがどうでしょうか。それならば、104年も昔のものと言うことです。
 盃は、10月28日の日夏小学校の遺品展示バートⅡで展示したいと思います。




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:40 Comments( 0 ) 日夏歴史研究会 日夏の歴史
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プロフィール
日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。