屋根裏からの証言 昭和9年
滋賀県立大学の鵜飼先生がお見えになり、日夏里館の建物を見ていただいた。
階段の青い天井、大広間の格天井もやはり青色のように思われる。

格天井を見上げながら、
広い天井をどう吊っているのか、照明はどうだったのかなどの疑問。
そこで、北隅の天井の通気口をのぞいてみる。

なんと、棟札が見えるとのこと。
そこには、昭和9年(1934)9月7日上棟と記され、多数の人の名前が見える。

日夏村村長・建設委員長・日夏産業組合長、村会議員12名、組合理事6名、組合監事3名、村長をはじめとした役場吏員8名、組合長をはじめとした組合職員6名の名前。
更に、次の記載。
設計監督 ヴォーリズ建築事務所
建築士 小川祐三
現場監督 原仙太郎
施工者 疋田芳夫
棟梁 原 佐次郎
やはり、ヴォーリズ建築事務所の設計であることが再確認できた。
鵜飼先生が話されていた、
地域の拠点として建設された歴史のある建物
「建物が喜んでくれる活用法」、 それが考えていければと思う。
階段の青い天井、大広間の格天井もやはり青色のように思われる。

格天井を見上げながら、
広い天井をどう吊っているのか、照明はどうだったのかなどの疑問。
そこで、北隅の天井の通気口をのぞいてみる。

なんと、棟札が見えるとのこと。
そこには、昭和9年(1934)9月7日上棟と記され、多数の人の名前が見える。

日夏村村長・建設委員長・日夏産業組合長、村会議員12名、組合理事6名、組合監事3名、村長をはじめとした役場吏員8名、組合長をはじめとした組合職員6名の名前。
更に、次の記載。
設計監督 ヴォーリズ建築事務所
建築士 小川祐三
現場監督 原仙太郎
施工者 疋田芳夫
棟梁 原 佐次郎
やはり、ヴォーリズ建築事務所の設計であることが再確認できた。
鵜飼先生が話されていた、
地域の拠点として建設された歴史のある建物
「建物が喜んでくれる活用法」、 それが考えていければと思う。
荒神山ウォーク
久しぶりに荒神山に登ってみました。

登り口の表示には、山頂まで2800mとあります。
木々の間を登っていきます。

途中に千手寺の石段があります。
山裾の子どもセンターは勿論、野田沼や滋賀県立大学も望めます。

荒神山の山道は、
ウォーキングをする人やランニングをする人で、結構にぎわっています。

頂上まで行くと多景島が見えます。
彦根八景 うみ風渡る 荒神山の看板も掲げられていました。
山頂に鎮座する荒神山神社の拝殿の縁には、記帳ノートが置かれていて、毎日のように登られる方もあるようです。

もとは、奥山寺があり井伊家の崇敬も受けていたようですが、明治になって荒神山神社に改め社殿を造ったようです。
三宝荒神は江戸時代からのことで、火の神様 かまどの神様として広く信仰を集めています。
神社の北の尾根上には、県下第2位の全長124mの前方後円墳が確認され、注目を集めています。

登り口の表示には、山頂まで2800mとあります。
木々の間を登っていきます。

途中に千手寺の石段があります。

山裾の子どもセンターは勿論、野田沼や滋賀県立大学も望めます。

荒神山の山道は、
ウォーキングをする人やランニングをする人で、結構にぎわっています。

頂上まで行くと多景島が見えます。
彦根八景 うみ風渡る 荒神山の看板も掲げられていました。
山頂に鎮座する荒神山神社の拝殿の縁には、記帳ノートが置かれていて、毎日のように登られる方もあるようです。

もとは、奥山寺があり井伊家の崇敬も受けていたようですが、明治になって荒神山神社に改め社殿を造ったようです。
三宝荒神は江戸時代からのことで、火の神様 かまどの神様として広く信仰を集めています。
神社の北の尾根上には、県下第2位の全長124mの前方後円墳が確認され、注目を集めています。
まなびやの記憶
10月9日、日夏里館利用団体を中心にしたフェスタの実行委員会が開かれました。
計画が検討される中で、フェスタの最後に日夏の歌でもないのかとの話。
日夏の歌はないが、日夏小学校の校歌には日夏の良いところが歌い込まれているはずとのこと。
それでは、日夏小学校の校歌はどんな歌であったか?
それがなかなか思い出せない。

日夏小学校は、昭和43年(1968)4月、多景小学校、花田小学校とともに、現城陽小学校に統合され、廃校になった。
日夏小学校の校歌は、どうだったか?
「宇曽川堤花の雲 たなびく里に・・・」 後が思い出せず、忘却していっていることに愕然!
調べようと思っても出てこない。
どこかに残っているのでしょうか。
物事が終わり新しく変わっていく時には、それまでの記録をまとめておくことの大切さを思い知らされている。
せめて、地域の学舎の記録ぐらいは残しておきたいものだ。
施設を統合する者の責任であるようにも思う。
学舎(まなびや)についての、あまりにも恥ずかしい記憶。
どなたか、校歌など覚えておいでの方、ぜひ教えていただけないでしょうか。

日夏小学校に関係した写真残っていませんか。
ぜひ、接写等させて頂ければ幸いです。
宜しく御願いします。
計画が検討される中で、フェスタの最後に日夏の歌でもないのかとの話。
日夏の歌はないが、日夏小学校の校歌には日夏の良いところが歌い込まれているはずとのこと。
それでは、日夏小学校の校歌はどんな歌であったか?
それがなかなか思い出せない。

日夏小学校は、昭和43年(1968)4月、多景小学校、花田小学校とともに、現城陽小学校に統合され、廃校になった。
日夏小学校の校歌は、どうだったか?
「宇曽川堤花の雲 たなびく里に・・・」 後が思い出せず、忘却していっていることに愕然!
調べようと思っても出てこない。
どこかに残っているのでしょうか。
物事が終わり新しく変わっていく時には、それまでの記録をまとめておくことの大切さを思い知らされている。
せめて、地域の学舎の記録ぐらいは残しておきたいものだ。
施設を統合する者の責任であるようにも思う。
学舎(まなびや)についての、あまりにも恥ずかしい記憶。
どなたか、校歌など覚えておいでの方、ぜひ教えていただけないでしょうか。

日夏小学校に関係した写真残っていませんか。
ぜひ、接写等させて頂ければ幸いです。
宜しく御願いします。
芸術の秋 見つけてきました。
日夏の有名人の一人、小田柿寿郎さんの現代水墨画展が10月6日から11日まで、ひこね市文化プラザ メッセホールで開かれているとのことで訪ねてきました。

大きな作品が沢山ありました。やはり、彦根の風景が多く、湖畔の船のある景色なども興味深いものでした。

日夏の風景もあると聞いたのですが、それは1998年の作品 野小屋 でした。
寿郎さんは、小田柿美術教室を開催され、各地の水墨画教室や講座の講師を務められ、たくさんの花が届いていてきれいでした。
現代水墨画協会滋賀県支部長も務められ、日夏の人と言うより、彦根の人、滋賀県の人といった感じでした。

大きな作品が沢山ありました。やはり、彦根の風景が多く、湖畔の船のある景色なども興味深いものでした。

日夏の風景もあると聞いたのですが、それは1998年の作品 野小屋 でした。
寿郎さんは、小田柿美術教室を開催され、各地の水墨画教室や講座の講師を務められ、たくさんの花が届いていてきれいでした。
現代水墨画協会滋賀県支部長も務められ、日夏の人と言うより、彦根の人、滋賀県の人といった感じでした。
Posted by
日夏ヴォーリズ建築の会
at
08:03
│Comments(
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けいおんカフェ 初体験!!
豊郷にあるヴォーリズ建築 豊郷小学校を訪ねてきました。
日曜日の午後には、けいおんカフェが開かれるとのことで、初体験。

けいおんのマンガに出てきた音楽室は豊郷小学校の三階ですが、酬徳記念館名付けられた旧図書館で開かれていました。

飲み物付きのカレーセットをいただき、亀のパンを買って帰りました。
小学校正面、ここはどこかと思う風景。

群馬・湘南・宇都宮・春日部・山口・三河・・・・・車にはこんなナンバーがいっぱい。
勿論校舎内にも入ることができ、ウサギと亀に出会ってきました。

日曜日の午後には、けいおんカフェが開かれるとのことで、初体験。

けいおんのマンガに出てきた音楽室は豊郷小学校の三階ですが、酬徳記念館名付けられた旧図書館で開かれていました。

飲み物付きのカレーセットをいただき、亀のパンを買って帰りました。
小学校正面、ここはどこかと思う風景。

群馬・湘南・宇都宮・春日部・山口・三河・・・・・車にはこんなナンバーがいっぱい。
勿論校舎内にも入ることができ、ウサギと亀に出会ってきました。
