午後は日夏里館で談話会 組合村の発見
今日は第2火曜、月に一度の古文書を読む会と談話会です。
午前は荒神山神社の古文書を読む会で、始まる前に日夏里館の前庭の掃除をしました。
午後は日夏里館の談話会で、今日は寺村二三夫氏の話題提供で、テーマは「日夏村役人講(日夏村役場文書)から判ること」でした。

日夏村役場文書中に残っている二点の江戸時代の記録の紹介で、天明6年(1786)~万延元年(1860)の75年間に亘る記録です。天明6年に日夏八ヶ村が月1回の講を成立させ、月200文の負担(懸け銭)を出し、会場は持ち回りとあります。江戸時代の村は村の境界が明らかで、村内で起こったことはその村で処理するのが普通で、例えば旅人が病気になった場合などもその村で手当や報告等をしますが、日夏八ヶ村のどこかの村で起こった場合でも八ヶ村として対応することを申し合わせており、いわゆる「組合村」として協力していたことを知ることが出来ます。各村の庄屋が当番となって記録していますので、各村の庄屋が誰であったかもかにり判明し、興味深い史料です。
明治7年(1874)5月24日、八ヶ村が合併して一村となり、今日の日夏町につながっていますが、その伝統の一部が見えるように思います。
ところで、ソメイヨシノは散ってしまいましたが、8日の10:00~14:00まで妙楽寺山で山遊びをしました。少し寒かったのですが、オオシマザクラは見頃で、「春の里山をめでる会」でした。
春にって畑仕事や田の仕事に追われる毎日になりそうです。
そのほかにもいろいろなことがあるのですが、また、機会があれば紹介します。
午前は荒神山神社の古文書を読む会で、始まる前に日夏里館の前庭の掃除をしました。
午後は日夏里館の談話会で、今日は寺村二三夫氏の話題提供で、テーマは「日夏村役人講(日夏村役場文書)から判ること」でした。
日夏村役場文書中に残っている二点の江戸時代の記録の紹介で、天明6年(1786)~万延元年(1860)の75年間に亘る記録です。天明6年に日夏八ヶ村が月1回の講を成立させ、月200文の負担(懸け銭)を出し、会場は持ち回りとあります。江戸時代の村は村の境界が明らかで、村内で起こったことはその村で処理するのが普通で、例えば旅人が病気になった場合などもその村で手当や報告等をしますが、日夏八ヶ村のどこかの村で起こった場合でも八ヶ村として対応することを申し合わせており、いわゆる「組合村」として協力していたことを知ることが出来ます。各村の庄屋が当番となって記録していますので、各村の庄屋が誰であったかもかにり判明し、興味深い史料です。
明治7年(1874)5月24日、八ヶ村が合併して一村となり、今日の日夏町につながっていますが、その伝統の一部が見えるように思います。
ところで、ソメイヨシノは散ってしまいましたが、8日の10:00~14:00まで妙楽寺山で山遊びをしました。少し寒かったのですが、オオシマザクラは見頃で、「春の里山をめでる会」でした。
春にって畑仕事や田の仕事に追われる毎日になりそうです。
そのほかにもいろいろなことがあるのですが、また、機会があれば紹介します。