2012年01月10日
八幡堀保存運動に学ぶ
今日は朝から、日夏里館シャッターが調子悪いとのことなので、専門の方にお越しいただいて立会。
早くブログに投稿しなくては思いながらこんな時間になってしまった。
旧日夏村役場・産業組合合同庁舎の調査報告書のための原稿に取り組みながら、農協活動の知らなさに少し反省。
可能な限り明らかにしておきたいと思います。
さて、12月17日のシンポの時再確認させていただいた、川端五兵衛氏らが取り組まれた八幡堀再生運動に再度学んでみたいと思います。

西村幸夫・埒正浩編『証言・まちづくり』(学芸出版社、2011.8)掲載の2007年6月13日石川県立生涯学習センターでの川端氏の話をまとめた冊子がネタですが。
「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」青年会議所のスローガン
・八幡堀は歴史的に八幡発展の原点。堀の汚れは市民の心の汚れ。堀が物流機能を失い、市街地から流入する排水の富栄養化が原因。昔は市民が川ざらえをしていた。
・堀は自然に埋まったのではない、市民自らが埋めた犯人である。
「流行性ニーズ」時代の風潮によってくるくると変わる一過性のニーズ
「本態性ニーズ」自然環境や歴史・文化に根づいた市民や、まち全体が持っている気質や風土から生じる、まちづくりの方向づけの根幹。
歴史に根づいたもの。アイデンティティ。「不易と流行、これは両方なかったら、町というのは活性化しない」
八幡堀は市民のアイデンティティの源泉ではないか。堀の役割、物流の大動脈を失ったのだったらそれに代わる「新しい価値観を創造」したらどうかと提言した」
全面浚渫の主張に対する県からの専門的な注文、保存運動に求められた堀再生のための四つの課題のなかで、
第一「具体的な構想を図面で明らかに示せ」に対しては、京都大学の西川幸治氏にお願いし、保存修景計画「よみがえる八幡堀」という冊子を作り5千部を発刊した。
第四の「巨費を投じて全面浚渫する意義と必要性を示せ」に対しては、この地で一生を終えるときに幸せだと思われるようなまち、それが「死に甲斐のある終の栖」、「死に甲斐のあるまちをつくるため」とした。郷土愛、究極のまちづくりの思想。
→試行デモンストレーション 清掃活動
景観に対する市民意識の五段階
1.無関心の段階
2.気づきの段階
3.景観はみんなのものとの自覚する段階
4.景観は自分のものとの主張が生まれる段階(大切な景観を傷つけたら許さないと思う)
5.啓蒙する側に立つ段階(景観の保全・修景のリーダーとなる段階)
原風景に対し目の前にある風景(現(前)風景)は変えられる。
美しい原風景をみんなが共有できること、これこそが、究極のまちづくり。
リバーシブル・ディベロップメント
途中で一定の目的を達成した場合、これ以上続けていくことがマイナスであると気づいたら、もとへ戻してもいい。
可逆的な開発、可逆的な設計の勧め
ex. アメリカのビッグディック 高速道路を公園化
韓国で川の上にふたをした高速道路の川の復元
西の湖のクリーク地帯 巾35mの河川整備計画→重要文化的景観申請と選定
「まちづくりは身銭を切ること」「お金のある人は金を出したらいいではないか。体力のある人はボランティア活動をやつてください。知恵のある人は知恵を出してください。そして、三つとも駄目だという人は「この町が良くなりますように」といのってくださいと。それだけで結構です。これが究極のまちづくりです。」
誰が捨て汚したのか。大阪から来て捨てたのか。
→この問いに対して、みんなきれいにしてほしいと思っていた。
市民権を得た八幡堀清掃キャンペーン
浚渫のためのデモンストレーション、労働組合や市民の参加
西の湖の水郷景観をめぐって
水郷の四季の定点撮影→50年後の映写会の遺言 (50年後の評価に耐えられる行動)
「皆さんも私も五十年したら死んでいますから、子孫が評価するでしょう。」
この素晴らしい風景を守ってきたのは川端五兵衞ではない。ごみが流れてきたらすくい上げ、ヘドロが詰まってくれば道筋をきれいにし、クリークをずっと管理してきたのは自分たち(地域の人々。)これが美しいなんていうことは十分知っている。
土地の有効利用や農地の生産性、将来の農業を考えると泣く泣く土地改良をやらざるを得ない。苦渋の選択→その風景を愛していたのは農家の人たち
重要文化的景観、景観農業振興地域整備計画
農村集落へ拡大に伴う小学校での特別授業
「将来君たちが住む家はどれが一番いいと思う?」→「今住んでいるところ」との答え
豪華マンション・近代的洋風住宅
・現在の茅葺きや白壁の家並みでみんなが住んでいるところの三枚の写真
オンリーワンのまちづくり
観光は終の栖の内覧会
観光に来られる人を儲けの対象にしてはならない
観光のためでなく、市民の誇りのため
「自分たちがきちんとしたまちづくりをすれば、観光客はあとでやってきます。」
四つの風景
1一度行ってみたい風景、2一度遊んでみたい風景、3住んでみたい、4ここなら死んでもいい風景
歴史を知る者は未来を透徹する
「歴史を知る者はより優れて未来を透徹することができる。」
熱い想いが新たな道を切り開く
(西村幸夫さんのまとめ)
川端さんは、「常識を疑って、根本から自分たちの町を良くするためのことを考えると、道は開けてきたのです。それを支えてきたのは、やはり町に対する熱い想いですね。そのために汗を流すし、知恵も金も出すし、時間も費やす。そういう想いがいろいろな人を動かしてきたのだと思います。」
「素晴らしい景観を鑑賞するだけでなく、この景観を守るために、前例のないことを積み重ねてきた努力に学ばないといけない。」我々自身も、そういう壁を想いと熱意で越えていくことができる。そうゆう道を進まないといけないのではないか。
少しでもあやかりたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
早くブログに投稿しなくては思いながらこんな時間になってしまった。
旧日夏村役場・産業組合合同庁舎の調査報告書のための原稿に取り組みながら、農協活動の知らなさに少し反省。
可能な限り明らかにしておきたいと思います。
さて、12月17日のシンポの時再確認させていただいた、川端五兵衛氏らが取り組まれた八幡堀再生運動に再度学んでみたいと思います。
西村幸夫・埒正浩編『証言・まちづくり』(学芸出版社、2011.8)掲載の2007年6月13日石川県立生涯学習センターでの川端氏の話をまとめた冊子がネタですが。
「堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」青年会議所のスローガン
・八幡堀は歴史的に八幡発展の原点。堀の汚れは市民の心の汚れ。堀が物流機能を失い、市街地から流入する排水の富栄養化が原因。昔は市民が川ざらえをしていた。
・堀は自然に埋まったのではない、市民自らが埋めた犯人である。
「流行性ニーズ」時代の風潮によってくるくると変わる一過性のニーズ
「本態性ニーズ」自然環境や歴史・文化に根づいた市民や、まち全体が持っている気質や風土から生じる、まちづくりの方向づけの根幹。
歴史に根づいたもの。アイデンティティ。「不易と流行、これは両方なかったら、町というのは活性化しない」
八幡堀は市民のアイデンティティの源泉ではないか。堀の役割、物流の大動脈を失ったのだったらそれに代わる「新しい価値観を創造」したらどうかと提言した」
全面浚渫の主張に対する県からの専門的な注文、保存運動に求められた堀再生のための四つの課題のなかで、
第一「具体的な構想を図面で明らかに示せ」に対しては、京都大学の西川幸治氏にお願いし、保存修景計画「よみがえる八幡堀」という冊子を作り5千部を発刊した。
第四の「巨費を投じて全面浚渫する意義と必要性を示せ」に対しては、この地で一生を終えるときに幸せだと思われるようなまち、それが「死に甲斐のある終の栖」、「死に甲斐のあるまちをつくるため」とした。郷土愛、究極のまちづくりの思想。
→試行デモンストレーション 清掃活動
景観に対する市民意識の五段階
1.無関心の段階
2.気づきの段階
3.景観はみんなのものとの自覚する段階
4.景観は自分のものとの主張が生まれる段階(大切な景観を傷つけたら許さないと思う)
5.啓蒙する側に立つ段階(景観の保全・修景のリーダーとなる段階)
原風景に対し目の前にある風景(現(前)風景)は変えられる。
美しい原風景をみんなが共有できること、これこそが、究極のまちづくり。
リバーシブル・ディベロップメント
途中で一定の目的を達成した場合、これ以上続けていくことがマイナスであると気づいたら、もとへ戻してもいい。
可逆的な開発、可逆的な設計の勧め
ex. アメリカのビッグディック 高速道路を公園化
韓国で川の上にふたをした高速道路の川の復元
西の湖のクリーク地帯 巾35mの河川整備計画→重要文化的景観申請と選定
「まちづくりは身銭を切ること」「お金のある人は金を出したらいいではないか。体力のある人はボランティア活動をやつてください。知恵のある人は知恵を出してください。そして、三つとも駄目だという人は「この町が良くなりますように」といのってくださいと。それだけで結構です。これが究極のまちづくりです。」
誰が捨て汚したのか。大阪から来て捨てたのか。
→この問いに対して、みんなきれいにしてほしいと思っていた。
市民権を得た八幡堀清掃キャンペーン
浚渫のためのデモンストレーション、労働組合や市民の参加
西の湖の水郷景観をめぐって
水郷の四季の定点撮影→50年後の映写会の遺言 (50年後の評価に耐えられる行動)
「皆さんも私も五十年したら死んでいますから、子孫が評価するでしょう。」
この素晴らしい風景を守ってきたのは川端五兵衞ではない。ごみが流れてきたらすくい上げ、ヘドロが詰まってくれば道筋をきれいにし、クリークをずっと管理してきたのは自分たち(地域の人々。)これが美しいなんていうことは十分知っている。
土地の有効利用や農地の生産性、将来の農業を考えると泣く泣く土地改良をやらざるを得ない。苦渋の選択→その風景を愛していたのは農家の人たち
重要文化的景観、景観農業振興地域整備計画
農村集落へ拡大に伴う小学校での特別授業
「将来君たちが住む家はどれが一番いいと思う?」→「今住んでいるところ」との答え
豪華マンション・近代的洋風住宅
・現在の茅葺きや白壁の家並みでみんなが住んでいるところの三枚の写真
オンリーワンのまちづくり
観光は終の栖の内覧会
観光に来られる人を儲けの対象にしてはならない
観光のためでなく、市民の誇りのため
「自分たちがきちんとしたまちづくりをすれば、観光客はあとでやってきます。」
四つの風景
1一度行ってみたい風景、2一度遊んでみたい風景、3住んでみたい、4ここなら死んでもいい風景
歴史を知る者は未来を透徹する
「歴史を知る者はより優れて未来を透徹することができる。」
熱い想いが新たな道を切り開く
(西村幸夫さんのまとめ)
川端さんは、「常識を疑って、根本から自分たちの町を良くするためのことを考えると、道は開けてきたのです。それを支えてきたのは、やはり町に対する熱い想いですね。そのために汗を流すし、知恵も金も出すし、時間も費やす。そういう想いがいろいろな人を動かしてきたのだと思います。」
「素晴らしい景観を鑑賞するだけでなく、この景観を守るために、前例のないことを積み重ねてきた努力に学ばないといけない。」我々自身も、そういう壁を想いと熱意で越えていくことができる。そうゆう道を進まないといけないのではないか。
少しでもあやかりたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:09│Comments(0)
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