歴史を秘めた楠
今日の午前中の空はきれいに澄んでいました。
旧日夏村役場の報告書作りに関係して、滋賀県立大学へ行ってきました。

塔の左横に残月が見えたのでシャッターを押したのですが、あまり分からないでしょうか?
環境科学部へ向かう途中、塔の対岸に大きな楠がありました。
木の下に石碑があり、近寄ってみるとなかなか。

石碑には次のように記されていました。
楠
この木は、明治二十年私立淡海女学校の開学記念に植樹されたもので、以来、彦根高等女学校、彦根西高校へと一世紀余にわたり校史の変遷を見つめてきた。
また、昭和五年の同校の大火の時には、民家への類焼を防いだとも言われている。
昭和五十六年に道路拡幅により伐採の危機にあったものを造園家の熱意により別の土地に移され、この度県立大学の開学を機にこの地に移植されたものである。
淡海女学校(1887年)→彦根高等女学校→彦根西高校、そして県立大学へつづく歴史、昭和5年(1930)の大火のことを知ることができました。
石碑の裏面を確認することを忘れてしまったのですが、滋賀県立大学の開学が平成7年(1995)4月ですので、その時からこの地にたっているのでしょう。
どれだけの大学生が確認したか分かりませんが、120年あまりの歴史のいくコマかを振り返えらさせてくれる石碑の効用を再確認した次第です。
ものごとを語り伝え、顕彰するには、朽ちない石碑は最適かと思われます。
旧日夏村役場の報告書作りに関係して、滋賀県立大学へ行ってきました。

塔の左横に残月が見えたのでシャッターを押したのですが、あまり分からないでしょうか?
環境科学部へ向かう途中、塔の対岸に大きな楠がありました。
木の下に石碑があり、近寄ってみるとなかなか。

石碑には次のように記されていました。
楠
この木は、明治二十年私立淡海女学校の開学記念に植樹されたもので、以来、彦根高等女学校、彦根西高校へと一世紀余にわたり校史の変遷を見つめてきた。
また、昭和五年の同校の大火の時には、民家への類焼を防いだとも言われている。
昭和五十六年に道路拡幅により伐採の危機にあったものを造園家の熱意により別の土地に移され、この度県立大学の開学を機にこの地に移植されたものである。
淡海女学校(1887年)→彦根高等女学校→彦根西高校、そして県立大学へつづく歴史、昭和5年(1930)の大火のことを知ることができました。
石碑の裏面を確認することを忘れてしまったのですが、滋賀県立大学の開学が平成7年(1995)4月ですので、その時からこの地にたっているのでしょう。
どれだけの大学生が確認したか分かりませんが、120年あまりの歴史のいくコマかを振り返えらさせてくれる石碑の効用を再確認した次第です。
ものごとを語り伝え、顕彰するには、朽ちない石碑は最適かと思われます。