日夏里館に光が!?
イルミネーションは先日除去しておきましたが、
日夏村役場玄関の左右に街灯が点灯しました。

如何でしょうか。
3月6日には、14:30~日夏歴史研究会の学習会が開かれました。
又吉重太さんと荒木敬之さんからは滋賀県立大学の近江環人地域再生学座での取り組みのそれぞれについて報告がありました。
又吉さんの報告に関係して、ヴォーリズ建築事務所から提供いただいた21枚の日夏村役場設計図についても、みなさんに確認いただきました。
その後、サイエンの小林弘史氏から「滋賀サクの歴史浪漫奇行」の紹介がありました。
また、『こんきくらぶ』にも紹介された大橋利左衛門について、寺村二三夫氏から紹介いただきました。
収録されなかったことも数多くあるそうです。
追って紹介いただきたいと思います。
その後、総会が開催されました。
日夏村役場玄関の左右に街灯が点灯しました。

如何でしょうか。
3月6日には、14:30~日夏歴史研究会の学習会が開かれました。
又吉重太さんと荒木敬之さんからは滋賀県立大学の近江環人地域再生学座での取り組みのそれぞれについて報告がありました。
又吉さんの報告に関係して、ヴォーリズ建築事務所から提供いただいた21枚の日夏村役場設計図についても、みなさんに確認いただきました。

また、『こんきくらぶ』にも紹介された大橋利左衛門について、寺村二三夫氏から紹介いただきました。
収録されなかったことも数多くあるそうです。
追って紹介いただきたいと思います。
その後、総会が開催されました。
3/6 日夏村役場の建物の話
日夏歴史研究会の3月の講演会が下記の通り開かれます。
テーマ 日夏村役場の建築を考える
日 時:3月6日(日)午後2時30分~4時30分
講 師:滋賀県立大学大学院生 又吉重太氏ほか
会 場:日夏里館(旧日夏村役場)二階和室
内 容:ヴォーリズ建築事務所の日夏村役場建築設計図面が確認できた
ことから、図面から判明することを紹介いただきます。
参加費:無料 予約等不要
どなたでも参加いただけます。
興味のある方は当日会場へお越し下さい。
テーマ 日夏村役場の建築を考える
日 時:3月6日(日)午後2時30分~4時30分
講 師:滋賀県立大学大学院生 又吉重太氏ほか
会 場:日夏里館(旧日夏村役場)二階和室
内 容:ヴォーリズ建築事務所の日夏村役場建築設計図面が確認できた
ことから、図面から判明することを紹介いただきます。
参加費:無料 予約等不要
どなたでも参加いただけます。
興味のある方は当日会場へお越し下さい。
荒神山を蘇らせた大橋利左衛門
今月は話題が多い。
「こんきくらぶ」3月号の巻頭特集は、
「荒神山の緑を蘇らせた若き政治家 大橋利左衛門」

現在緑の山荒神山をめぐって植林を進めた若き政治家 大橋利左衛門のことが紹介されている。
日夏歴史研究会の寺村二三夫氏の案内による記事で、氏のコメントや郷土誌『日夏の歴史』、日夏村役場も合わせて紹介されている。
『新修彦根市史』第3巻にも 「大橋利左衛門」の植林事業がコラムとして紹介されている。
大橋は、嘉永5年(1852)生まれ。
明治11年3月、日夏村戸長大橋利左衛門ははげ山となっていた日夏村の荒神山に造林計画を立てるとともに、厳格な山林保護規定を設け、専任の山林監守人おいたという。
明治13年日夏村に村会ができた時初代村会議長になり、明治13~15年、17~18年に犬上郡選手の県会議員を務め、明治18年には日夏村ほか4ヵ村の連合戸長となった。
連合戸長としての大橋は、明治18年の大水害後の田圃の排水工事と、日夏街道あるいは日夏新道(朝鮮人街道から川瀬馬場村などを経て中山道に達する)の改修を行なったという。
日夏新道は明治20年(1887)5月14日竣工したが、河瀬駅近くの踏切は河瀬地区にありながら「日夏踏切」とのこと。
利左衛門は、明治21年(1888)、満35歳で死去。
そして、64年も経った昭和29年(1956)、荒神山の天王山の麓に顕彰碑が建設されている。
この碑の建設は、日夏村が彦根市に合併した昭和25年に日夏町自治会をつくり、その初代自治会長小田柿喜次郎の時に準備され、次の寺村民雄氏が自治会長の時、昭和29年に建設されたことが顕彰碑から判明する。
日夏町の事業としての顕彰が強く意図されたことを再認識したい。
なお、建立された年については留意が必要。
「こんきくらぶ」3月号の巻頭特集は、
「荒神山の緑を蘇らせた若き政治家 大橋利左衛門」

現在緑の山荒神山をめぐって植林を進めた若き政治家 大橋利左衛門のことが紹介されている。
日夏歴史研究会の寺村二三夫氏の案内による記事で、氏のコメントや郷土誌『日夏の歴史』、日夏村役場も合わせて紹介されている。
『新修彦根市史』第3巻にも 「大橋利左衛門」の植林事業がコラムとして紹介されている。
大橋は、嘉永5年(1852)生まれ。
明治11年3月、日夏村戸長大橋利左衛門ははげ山となっていた日夏村の荒神山に造林計画を立てるとともに、厳格な山林保護規定を設け、専任の山林監守人おいたという。
明治13年日夏村に村会ができた時初代村会議長になり、明治13~15年、17~18年に犬上郡選手の県会議員を務め、明治18年には日夏村ほか4ヵ村の連合戸長となった。
連合戸長としての大橋は、明治18年の大水害後の田圃の排水工事と、日夏街道あるいは日夏新道(朝鮮人街道から川瀬馬場村などを経て中山道に達する)の改修を行なったという。
日夏新道は明治20年(1887)5月14日竣工したが、河瀬駅近くの踏切は河瀬地区にありながら「日夏踏切」とのこと。
利左衛門は、明治21年(1888)、満35歳で死去。
そして、64年も経った昭和29年(1956)、荒神山の天王山の麓に顕彰碑が建設されている。
この碑の建設は、日夏村が彦根市に合併した昭和25年に日夏町自治会をつくり、その初代自治会長小田柿喜次郎の時に準備され、次の寺村民雄氏が自治会長の時、昭和29年に建設されたことが顕彰碑から判明する。
日夏町の事業としての顕彰が強く意図されたことを再認識したい。
なお、建立された年については留意が必要。