2011年03月01日

荒神山を蘇らせた大橋利左衛門

 今月は話題が多い。

 「こんきくらぶ」3月号の巻頭特集は、
 「荒神山の緑を蘇らせた若き政治家 大橋利左衛門



 現在緑の山荒神山をめぐって植林を進めた若き政治家 大橋利左衛門のことが紹介されている。

 日夏歴史研究会の寺村二三夫氏の案内による記事で、氏のコメントや郷土誌『日夏の歴史』、日夏村役場も合わせて紹介されている。

  『新修彦根市史』第3巻にも 「大橋利左衛門」の植林事業がコラムとして紹介されている。

 大橋は、嘉永5年(1852)生まれ。
 明治11年3月、日夏村戸長大橋利左衛門ははげ山となっていた日夏村の荒神山に造林計画を立てるとともに、厳格な山林保護規定を設け、専任の山林監守人おいたという。

 明治13年日夏村に村会ができた時初代村会議長になり、明治13~15年、17~18年に犬上郡選手の県会議員を務め、明治18年には日夏村ほか4ヵ村の連合戸長となった。

 連合戸長としての大橋は、明治18年の大水害後の田圃の排水工事と、日夏街道あるいは日夏新道(朝鮮人街道から川瀬馬場村などを経て中山道に達する)の改修を行なったという。
 日夏新道は明治20年(1887)5月14日竣工したが、河瀬駅近くの踏切は河瀬地区にありながら「日夏踏切」とのこと。

 利左衛門は、明治21年(1888)、満35歳で死去。
 そして、64年も経った昭和29年(1956)、荒神山の天王山の麓に顕彰碑が建設されている。

 この碑の建設は、日夏村が彦根市に合併した昭和25年に日夏町自治会をつくり、その初代自治会長小田柿喜次郎の時に準備され、次の寺村民雄氏が自治会長の時、昭和29年に建設されたことが顕彰碑から判明する。

 日夏町の事業としての顕彰が強く意図されたことを再認識したい。

 なお、建立された年については留意が必要。





Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:10 Comments( 0 ) 日夏の歴史
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日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。