『日夏里館だより』23号をお届けします。
今日は、餅つきをしてから、午後日夏里館だよりを延寿寺・千手寺・荒神山神社へ届けました。




自転車で延寿寺まで行くと少し距離があり、それから千手寺山門に戻りウオーク。今年最後の荒神山ウオークでした。
また、お墓に花を飾りに行き、自らの課題解決に取り組む。
今年ももう一日しかない。頑張らねば!・・・




自転車で延寿寺まで行くと少し距離があり、それから千手寺山門に戻りウオーク。今年最後の荒神山ウオークでした。
また、お墓に花を飾りに行き、自らの課題解決に取り組む。
今年ももう一日しかない。頑張らねば!・・・
日夏里館で展示会 日夏歴史研究会
昨日はあいにくの天気でしたが、日夏里館で旧日夏小学校の学校博物館の部屋に収蔵されていた遺品の展示を日夏歴史研究会主催で開きました。


今回の展示の中心は和本類323冊で、更に絵はがきの束2つ、「安身長寿散」という薬の版木、日夏尋常高等小学校校舎落成記念の盃、そして日夏町自治会の倉庫で確認された明治42年6月2日の学校の棟札です。和本の中には、日夏出身で後に秋田県知事も勤めた廣瀬進一氏口述の「十七憲法和解」も含まれていました。

展示中2束ある絵はがき類を整理していると、日夏青年団が作った絵はがきが見つかりました。封筒に「湖国第一 桜花の宇曽川」のタイトルと「日夏青年団」と印刷されていました。今回確認できたのは、「天満橋より長堤を望む」「千手寺山門の桜」「唐崎橋の桜」「花のトンネル」の4点です。こんな形で青年団の活動が見えるとは意外でした。
雨の中来館いただいたみな様、ありがとうございました。また、展示に協力いただいた方々にお礼申し上げます。
さて、今日は台風22号が接近するとのことで、朝から雨降りですが、月に一度の森づくりの日です。9時に荒神山公園第4駐車場横の山へ行くと、森の中は先の台風21号の被害が! 大きなコナラの木が倒れていました。

来月からは被害木の片付けに追われそうです。周りから見ているのと森の中へ入って見るのとは大違いでした。22号の被害が出ないことを祈りたい。
今回の展示の中心は和本類323冊で、更に絵はがきの束2つ、「安身長寿散」という薬の版木、日夏尋常高等小学校校舎落成記念の盃、そして日夏町自治会の倉庫で確認された明治42年6月2日の学校の棟札です。和本の中には、日夏出身で後に秋田県知事も勤めた廣瀬進一氏口述の「十七憲法和解」も含まれていました。
展示中2束ある絵はがき類を整理していると、日夏青年団が作った絵はがきが見つかりました。封筒に「湖国第一 桜花の宇曽川」のタイトルと「日夏青年団」と印刷されていました。今回確認できたのは、「天満橋より長堤を望む」「千手寺山門の桜」「唐崎橋の桜」「花のトンネル」の4点です。こんな形で青年団の活動が見えるとは意外でした。
雨の中来館いただいたみな様、ありがとうございました。また、展示に協力いただいた方々にお礼申し上げます。
さて、今日は台風22号が接近するとのことで、朝から雨降りですが、月に一度の森づくりの日です。9時に荒神山公園第4駐車場横の山へ行くと、森の中は先の台風21号の被害が! 大きなコナラの木が倒れていました。
来月からは被害木の片付けに追われそうです。周りから見ているのと森の中へ入って見るのとは大違いでした。22号の被害が出ないことを祈りたい。
104年前 日夏小学校の遺品
多賀大社門前でカフェを営まれている「多賀あさひや」さんから、旧日夏小学校関係の遺品をいただきました。
それは、径6.0㎝の盃です。外側面に「日夏尋常高等小学校落成式」と書かれ、見込みには「祝」の金文字と、絵が描かれています。裏には「九谷」の朱書もあります。


明治41年(1908)小学校令が改正され、2年制の高等科は義務教育内に含まれることになり、義務教育が6年に延長になります。「日夏尋常高等小学校」は同年4月1日より高等科二学年を併設しました。このため、隣接の字海道ノ上・地蔵堂の土地約三反を買い入れ、8月に一期工事に着手、同年10月に竣工。明治45年10月二期工事に着手し、大正2年(1913)に竣工、3月15日に校舎の落成式を挙行しています。
提供いただいた落成記念の盃は、大正2年3月15日の落成記念のものと思うのですがどうでしょうか。それならば、104年も昔のものと言うことです。
盃は、10月28日の日夏小学校の遺品展示バートⅡで展示したいと思います。
それは、径6.0㎝の盃です。外側面に「日夏尋常高等小学校落成式」と書かれ、見込みには「祝」の金文字と、絵が描かれています。裏には「九谷」の朱書もあります。
明治41年(1908)小学校令が改正され、2年制の高等科は義務教育内に含まれることになり、義務教育が6年に延長になります。「日夏尋常高等小学校」は同年4月1日より高等科二学年を併設しました。このため、隣接の字海道ノ上・地蔵堂の土地約三反を買い入れ、8月に一期工事に着手、同年10月に竣工。明治45年10月二期工事に着手し、大正2年(1913)に竣工、3月15日に校舎の落成式を挙行しています。
提供いただいた落成記念の盃は、大正2年3月15日の落成記念のものと思うのですがどうでしょうか。それならば、104年も昔のものと言うことです。
盃は、10月28日の日夏小学校の遺品展示バートⅡで展示したいと思います。
日夏里館だより 21号
『日夏里館だより』21号をお届けします。
7月8日13:00~張り子研究会、
7月11日午前は古文書を読む会、午後は村役場事務室談話会
奥山寺の塔頭が山上に広がっていたこと、戦時中の金属供出の歴史の発見・・・




7月8日13:00~張り子研究会、
7月11日午前は古文書を読む会、午後は村役場事務室談話会
奥山寺の塔頭が山上に広がっていたこと、戦時中の金属供出の歴史の発見・・・




「発見・彦根張り子」
昨年彦根張り子の木型が日夏で発見された。
11月5日は、日夏で初めての展示と講演会でした。

郷土玩具研究家で収集家の藤野滋氏によると、江戸時代に遡る張り子の木型は、画期的な発見だとのこと。藤野氏の講演テーマは「発見・彦根張り子」で、各地の張り子の中でも古い遺品が確認されているとのことで、今回の木型の発見により彦根張り子の生産が日夏で行われていたことが確定できたという。嘉永4年(1851)の文書に「面張職」と記された五郎介の存在が説明され、今回展示した木型の中に大黒面や被り面があり、記録との関係も明らかにされました。


展示には、草津のピンピン鯛車、ピンピン馬車、猩々その他の張り子を持参いただき、木型と張り子の関係もよく理解できました。また、多数の写真資料を加えた説明は分かりやすかった。
木型は30年前に解体前の旧日夏小学校にあった遺品で、今回木型類を一堂に展示しました。彦根張り子は彦根の豊かさを示す遺品の一つとして高く評価できるとのことで、その彦根張り子を日夏で製作していたことは、日夏の誇りにしてもいいのではないかと思いました。何か分からないままながら、木型を残しておいてよかったと思える一日でした。
11月5日は、日夏で初めての展示と講演会でした。
郷土玩具研究家で収集家の藤野滋氏によると、江戸時代に遡る張り子の木型は、画期的な発見だとのこと。藤野氏の講演テーマは「発見・彦根張り子」で、各地の張り子の中でも古い遺品が確認されているとのことで、今回の木型の発見により彦根張り子の生産が日夏で行われていたことが確定できたという。嘉永4年(1851)の文書に「面張職」と記された五郎介の存在が説明され、今回展示した木型の中に大黒面や被り面があり、記録との関係も明らかにされました。
展示には、草津のピンピン鯛車、ピンピン馬車、猩々その他の張り子を持参いただき、木型と張り子の関係もよく理解できました。また、多数の写真資料を加えた説明は分かりやすかった。
木型は30年前に解体前の旧日夏小学校にあった遺品で、今回木型類を一堂に展示しました。彦根張り子は彦根の豊かさを示す遺品の一つとして高く評価できるとのことで、その彦根張り子を日夏で製作していたことは、日夏の誇りにしてもいいのではないかと思いました。何か分からないままながら、木型を残しておいてよかったと思える一日でした。