物言わぬ語り部たち!
三角屋根は、広い工場の中が明るいように採光窓が垂直部分に取り付けられ、工場を象徴する形です。日夏にあった多くの工場に採用され、最後まで残っていた三角屋根の川崎工場が解体されていました。
2008年8月5日の川崎工場の三角屋根です。

1月31日日夏里館へ歩いて行くときに気がついたのですが、もう屋根は無くなって、部材の取り片付けが行われていました。工場の中の写真はまったく撮ることが出来ませんでした。



川崎工場は軍需工場で、戦争に行かなくていいように多くの地域の人々が働いたと言います。しかし、何を作っていたのか明らかでありません。
戦後はミシンの部品を製造していたと聞いています。金属を削った鉄くずを見たことを少し覚えています。
既にありませんが、2008年8月5日には事務所も残っていました。

三角屋根の工場の姿は、その存在自体が歴史を語っているようでした。
ところで、工場の南隅に坩堝が伏せて残っていました。径約30センチ、高さ約33センチの大きさで、胴に1つの穴があります。何時頃、何を鋳造したのか分かりませんが、日夏里館に譲り受け、保存することにしました。どこまで保存できるか分かりませんが、物言わぬ歴史の語り部として、保存したいと思います。

いろいろある地域の歴史を一人で保存することは出来ません。変わりゆく現在に途方に暮れていると言ったところです。地域の先人の語り部からいろいろなことを聞き伝えることも大切です。しかし、人の記憶は曖昧なところもあり、変化するものでもあります。そんなとき、工場や生活の場で使用された道具や遺物は、時には曖昧な記憶をただしてくれることもあるるように思います。人の語りとともに歴史の語り部として資料・遺物も残しておくことも大切です。
全てのものを残すことは出来ない。また、一人で気づき出来ることはほんのわずかなことです。
今後、歴史の資料が残らなかったマチや語りが残されなかったムラは、歴史の無いムラ、歴史の無いマチになりかねない、そうならざるを得ないように思われます。
日夏村役場の建物を保存をしたいとの思いとも重なりますが、多くの地域の方々の支持と協力が無くては続かないのではと思われ、少し心細くもあります。
2008年8月5日の川崎工場の三角屋根です。
1月31日日夏里館へ歩いて行くときに気がついたのですが、もう屋根は無くなって、部材の取り片付けが行われていました。工場の中の写真はまったく撮ることが出来ませんでした。
川崎工場は軍需工場で、戦争に行かなくていいように多くの地域の人々が働いたと言います。しかし、何を作っていたのか明らかでありません。
戦後はミシンの部品を製造していたと聞いています。金属を削った鉄くずを見たことを少し覚えています。
既にありませんが、2008年8月5日には事務所も残っていました。
三角屋根の工場の姿は、その存在自体が歴史を語っているようでした。
ところで、工場の南隅に坩堝が伏せて残っていました。径約30センチ、高さ約33センチの大きさで、胴に1つの穴があります。何時頃、何を鋳造したのか分かりませんが、日夏里館に譲り受け、保存することにしました。どこまで保存できるか分かりませんが、物言わぬ歴史の語り部として、保存したいと思います。
いろいろある地域の歴史を一人で保存することは出来ません。変わりゆく現在に途方に暮れていると言ったところです。地域の先人の語り部からいろいろなことを聞き伝えることも大切です。しかし、人の記憶は曖昧なところもあり、変化するものでもあります。そんなとき、工場や生活の場で使用された道具や遺物は、時には曖昧な記憶をただしてくれることもあるるように思います。人の語りとともに歴史の語り部として資料・遺物も残しておくことも大切です。
全てのものを残すことは出来ない。また、一人で気づき出来ることはほんのわずかなことです。
今後、歴史の資料が残らなかったマチや語りが残されなかったムラは、歴史の無いムラ、歴史の無いマチになりかねない、そうならざるを得ないように思われます。
日夏村役場の建物を保存をしたいとの思いとも重なりますが、多くの地域の方々の支持と協力が無くては続かないのではと思われ、少し心細くもあります。
日夏の産業遺産「橋本工場」 解体
日夏では紡織業が盛んだった。
昭和2年(1927)橋本定治郞が寺村の集落内に設立し、妙楽寺地先に移転して、数年前まで機械の音がしていた橋本工場(橋本製織工場)。これが最後まで残っていた紡織工場だった。
2008年8月5日の橋本工場

この工場が解体されていると聞いたため、見に行った。
スレートの屋根瓦が凡そ取り除かれていた。

窓から中を覗くと、もちろん機械類は何も残っていない。

日夏の産業遺産がまた一つ無くなっていく。
新たな利活用がされないのは残念だ。・・・
ところで、意外に暑い日が続いているが、もう秋本番。
朝、新聞を取りに表へ出ると、吾が家の金木犀の匂いが漂っている。

サツマイモを掘ると、今年は沢山のサツマイモが出来ていました。昨年は不作だったのに。

また、キビの後始末をして、近くの秋、コスモスを見に行きました。

昭和2年(1927)橋本定治郞が寺村の集落内に設立し、妙楽寺地先に移転して、数年前まで機械の音がしていた橋本工場(橋本製織工場)。これが最後まで残っていた紡織工場だった。
2008年8月5日の橋本工場
この工場が解体されていると聞いたため、見に行った。
スレートの屋根瓦が凡そ取り除かれていた。
窓から中を覗くと、もちろん機械類は何も残っていない。
日夏の産業遺産がまた一つ無くなっていく。
新たな利活用がされないのは残念だ。・・・
ところで、意外に暑い日が続いているが、もう秋本番。
朝、新聞を取りに表へ出ると、吾が家の金木犀の匂いが漂っている。
サツマイモを掘ると、今年は沢山のサツマイモが出来ていました。昨年は不作だったのに。
また、キビの後始末をして、近くの秋、コスモスを見に行きました。
桜満開 宇曽川堤
今日は上天気で、お百姓。
農業倉庫周りの整理、草取りに追われていました。
昼食後、ちょっと宇曽川堤の桜を見に行きました。

千手寺下の宇曽川沿いの門付近。数組の方々が、
花見弁当を広げておられました。
宇曽川堤の桜は、なかなかきれいでした。
後ろは、荒神山です。

子どもセンターや唐崎神社近くの宇曽川唐崎公園も満開でした。

伊吹山には少し雪が残っていました。
農業倉庫周りの整理、草取りに追われていました。
昼食後、ちょっと宇曽川堤の桜を見に行きました。

千手寺下の宇曽川沿いの門付近。数組の方々が、
花見弁当を広げておられました。
宇曽川堤の桜は、なかなかきれいでした。
後ろは、荒神山です。


子どもセンターや唐崎神社近くの宇曽川唐崎公園も満開でした。

伊吹山には少し雪が残っていました。
タグ :宇曽川
荒神山遠望
日夏の西に広がる荒神山は、自然や歴史遺産がいっぱいです。多くの方がウォークキング、散策を楽しむ山です。
先週は、彦根市立病院に少しお世話になりましたが、そこから見た荒神山の遠景をお届けしたいと思います。

12月14日、冬の彦根地域には珍しく穏やかな日でした。

12月11日は雪で、午後の荒神山はこんな感じでした。

ついでに眼下に見える犬上川はこんな感じ。

タブの木の伐採が問題となった付近です。

12月13日の荒神山です。これが普通の感じでしょうか。
折角ですので、12月14日の伊吹山は大変きれいでした。

ついでに病院から見た日の出、12月13日7時20分頃のことです。

健康が重要であることを再認識させられ、
少しだけ弱者に思い至ることができそうな気がしました。
先週は、彦根市立病院に少しお世話になりましたが、そこから見た荒神山の遠景をお届けしたいと思います。

12月14日、冬の彦根地域には珍しく穏やかな日でした。

12月11日は雪で、午後の荒神山はこんな感じでした。

ついでに眼下に見える犬上川はこんな感じ。

タブの木の伐採が問題となった付近です。

12月13日の荒神山です。これが普通の感じでしょうか。
折角ですので、12月14日の伊吹山は大変きれいでした。

ついでに病院から見た日の出、12月13日7時20分頃のことです。

健康が重要であることを再認識させられ、
少しだけ弱者に思い至ることができそうな気がしました。
晩秋満喫 宇曽川畔~野田沼・曽根沼へ
少し忘れかけていた身近な自然。
上天気だったので、久しぶりに周辺の晩秋を楽しんできました。
先ずは宇曽川畔から荒神山

日夏と須越の境に当たる野田沼。曽根沼と共に水鳥がいっぱい。

荒神山の西に広がる曽根沼。
荒神山の頂上には県下第二位の大きな荒神山古墳がある。

曽根沼畔の森も素晴らしかった。

最後は曽根沼北側から。

空気もきれい。
またゆっくり散策したい思いに駆られた。・・・
上天気だったので、久しぶりに周辺の晩秋を楽しんできました。
先ずは宇曽川畔から荒神山

日夏と須越の境に当たる野田沼。曽根沼と共に水鳥がいっぱい。

荒神山の西に広がる曽根沼。
荒神山の頂上には県下第二位の大きな荒神山古墳がある。

曽根沼畔の森も素晴らしかった。

最後は曽根沼北側から。

空気もきれい。
またゆっくり散策したい思いに駆られた。・・・