2014年02月02日

物言わぬ語り部たち!

三角屋根は、広い工場の中が明るいように採光窓が垂直部分に取り付けられ、工場を象徴する形です。日夏にあった多くの工場に採用され、最後まで残っていた三角屋根の川崎工場が解体されていました。

2008年8月5日の川崎工場の三角屋根です。
物言わぬ語り部たち!

1月31日日夏里館へ歩いて行くときに気がついたのですが、もう屋根は無くなって、部材の取り片付けが行われていました。工場の中の写真はまったく撮ることが出来ませんでした。

物言わぬ語り部たち!

物言わぬ語り部たち!

物言わぬ語り部たち!

川崎工場は軍需工場で、戦争に行かなくていいように多くの地域の人々が働いたと言います。しかし、何を作っていたのか明らかでありません。
戦後はミシンの部品を製造していたと聞いています。金属を削った鉄くずを見たことを少し覚えています。

既にありませんが、2008年8月5日には事務所も残っていました。
物言わぬ語り部たち!

三角屋根の工場の姿は、その存在自体が歴史を語っているようでした。

ところで、工場の南隅に坩堝が伏せて残っていました。径約30センチ、高さ約33センチの大きさで、胴に1つの穴があります。何時頃、何を鋳造したのか分かりませんが、日夏里館に譲り受け、保存することにしました。どこまで保存できるか分かりませんが、物言わぬ歴史の語り部として、保存したいと思います。
物言わぬ語り部たち!

いろいろある地域の歴史を一人で保存することは出来ません。変わりゆく現在に途方に暮れていると言ったところです。地域の先人の語り部からいろいろなことを聞き伝えることも大切です。しかし、人の記憶は曖昧なところもあり、変化するものでもあります。そんなとき、工場や生活の場で使用された道具や遺物は、時には曖昧な記憶をただしてくれることもあるるように思います。人の語りとともに歴史の語り部として資料・遺物も残しておくことも大切です。

全てのものを残すことは出来ない。また、一人で気づき出来ることはほんのわずかなことです。
今後、歴史の資料が残らなかったマチや語りが残されなかったムラは、歴史の無いムラ、歴史の無いマチになりかねない、そうならざるを得ないように思われます。
日夏村役場の建物を保存をしたいとの思いとも重なりますが、多くの地域の方々の支持と協力が無くては続かないのではと思われ、少し心細くもあります。



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Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:28│Comments(0)日夏の景観
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プロフィール
日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。