2017年09月12日

延寿寺 多彩な取り組み

今日9月12日は、月に一度の日夏村役場事務室談話会。


今回の話題提供は、延寿禅寺住職の横井元昌さん。
「多くの人々が心の安らぎを求めて訪れる延寿禅寺に」と題して、多数の写真を交えてお話しいただきました。

延寿寺は、荒神山南側山裾にある臨済宗永源寺派の禅寺で、古くは大きな寺院だったようで、元天台宗の寺院とのこと。

 寺伝によると、創建は今を去る千二百年の昔、天平勝宝749年聖武天皇が東大寺大仏を建立せられるにあたり、僧行基によって四十九院を建立された四天王格の寺院でした。
創建当時は、荒神山奥の院(今の荒神山神社)を奥の院として湖東平野、愛知犬上両郡に四十九院の寺院があったと伝えられています。
 平安時代になりますと、天台宗が隆盛を極め、境内の上には宝塔、諸堂伽藍がならび、山麓には十坊が甍をつらねていました。十坊とは、福泉坊・西行坊・来徳坊・来福坊・善徳坊・善満坊・覚前坊・千日坊・福蔵坊・実蔵坊であり、他境内には静林寺があり、現在でも、蓮池・南大門・北大門等の地名が残っており、当時は広大であったことがうかがわれます。
 元亀、天正の頃(1580年)織田信長の兵火にあい、お堂がことごとく消亡し、わずかに本尊観世音菩薩の尊像一体が火焔の中より出現されて、一僧が背負って荒神山の宮殿に運び込んだと記してあります。それが、鎌倉時代の十一面観音坐像(彦根市指定文化財)とのこと。
 建物の焼失後四十数年を経て、山麓の人たちがこの寺の廃亡をなげき、菩薩の尊像を迎えて再興をはかり、永源寺八十一世如雪文岩禅師を迎え、禅刹として復興しました。禅師の弟子拙心正千禅師が住山せられるや、遠近の人々の帰依が多く、ならびに井伊家、家老中川琳庵等の外護により、本堂以下諸堂伽藍建立なりり法灯が再び栄え、三百年を経て現在に至っているとのこです。

 檀家は40軒、稲里・甲崎・田原・出路・彦富に広がっていて、再興時地域の有力者だったと考えられます。
 寺では4月上旬のライトアップ、8月16日の万灯会、11月17日~30日の紅葉ライトアップ、12月31日の除夜の鐘付き放題を開催し、禅寺体験では、座禅会・写経会・小坊主体験、人々の交流の場としてお茶会・落語会・俳句会・南京玉すだれ・大正琴コンサート等を開催し、「ひこねまちかふぇプロジェクト」にも参加されているとのこと。
 宗派を越えて、「お寺は人の集いの場であり、心の通うコミュニティをつくる場にしていきたい。」と考えておられるようです。
 荒神山を取り巻く重要拠点の一つとして、連携を深めていきたいと思いました。モミジも多く、秋のライトアップに行ってみたい。
                   (延寿寺のホームページを参照しました。)




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 18:20 Comments( 0 ) 活動メモ 各地の取り組み
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日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。