彦根から北米へ
「彦根から北米大陸へ-古写真で振り返る北米移民の暮らし-」の写真展は今日までです。
8月14日午後の昔語りの会では、彦根市史編さん室で収集された資料から、
カナダ移民を中心に小林氏から説明がありました。

日夏は圧倒的にアメリカ移民が多く、これまであまり紹介されていませんでしたが、今回はその点も展示の中で紹介されています。
参加者から明治39年(1906)や明治41年(1908)のアメリカからの手紙なども紹介されていました。


また、大正12年(1923)の電気按摩器などは日夏に漸く電灯がともるようになった頃のことで、その文化的差の大きかったことが予想されます。
明治29年の大水害で移民生まれたなどと言われることがあったのですが、北米移民の賃金が日本に比べ高く、出稼ぎに行っていたことが明らかであるとのことでした。
アメリカの日本人社会はきわめて親族関係や同郷の人びととの関係を大切にしてきたようですが、世代交代をする中で日本の親戚との関係も途絶えがちになってきているようです。
両者からの聞き取りも大切であることが強く認識できたところです。
移民や出稼ぎ関係資料もまだまだ残されているのではないかと思いますが?
8月14日午後の昔語りの会では、彦根市史編さん室で収集された資料から、
カナダ移民を中心に小林氏から説明がありました。
日夏は圧倒的にアメリカ移民が多く、これまであまり紹介されていませんでしたが、今回はその点も展示の中で紹介されています。
参加者から明治39年(1906)や明治41年(1908)のアメリカからの手紙なども紹介されていました。


また、大正12年(1923)の電気按摩器などは日夏に漸く電灯がともるようになった頃のことで、その文化的差の大きかったことが予想されます。
明治29年の大水害で移民生まれたなどと言われることがあったのですが、北米移民の賃金が日本に比べ高く、出稼ぎに行っていたことが明らかであるとのことでした。
アメリカの日本人社会はきわめて親族関係や同郷の人びととの関係を大切にしてきたようですが、世代交代をする中で日本の親戚との関係も途絶えがちになってきているようです。
両者からの聞き取りも大切であることが強く認識できたところです。
移民や出稼ぎ関係資料もまだまだ残されているのではないかと思いますが?
タグ :北米移民