朝鮮人街道の道標
朝鮮人街道を南から来ると、荒神山の山裾を廻って宇曽川に出る天王山の山裾に、千手寺への道標があります。

道標の後の小山にはかって牛頭天王社があったそうですが、日夏八ヶ村が関係していたようです。現在は大きな忠魂碑が建てられています。
道標から右手宇曽川沿いに行くと古屋敷があり、八幡宮もあり、その奥階段を上っていくと千手寺があります。千手寺には千手観音がお祀りされており、彦根藩とも関係が深い寺院です。

道標には「右千手寺」「左八まん」と深く刻まれています。それ以外の文字が刻まれていないため、何時、誰が設置したものかわかりません。
先に紹介した島自治会の集会所で開催された日夏歴史研究会による歴史講演会の時、この道標のことを記した古文書が展示されていました。

「道分ヶ石之事」と題するこの古文書によると、往来する諸人の案内のため設置を島村に相談し、彦根藩の寺社奉行、筋奉行、普請奉行へ書面で御願いし、三奉行の許可が得られたのでいよいよ設置するとして、島村にこの文書を提出したようです。
この文書提出して道標を建てたのは千手寺の一抱、その年は文政元年(1818)で、今から191前であったことが判明します。
地域の史料を丹念に調べていくと、埋もれた地域の歴史を再発見していくことが出来るように思います。

道標の後の小山にはかって牛頭天王社があったそうですが、日夏八ヶ村が関係していたようです。現在は大きな忠魂碑が建てられています。
道標から右手宇曽川沿いに行くと古屋敷があり、八幡宮もあり、その奥階段を上っていくと千手寺があります。千手寺には千手観音がお祀りされており、彦根藩とも関係が深い寺院です。

道標には「右千手寺」「左八まん」と深く刻まれています。それ以外の文字が刻まれていないため、何時、誰が設置したものかわかりません。
先に紹介した島自治会の集会所で開催された日夏歴史研究会による歴史講演会の時、この道標のことを記した古文書が展示されていました。

「道分ヶ石之事」と題するこの古文書によると、往来する諸人の案内のため設置を島村に相談し、彦根藩の寺社奉行、筋奉行、普請奉行へ書面で御願いし、三奉行の許可が得られたのでいよいよ設置するとして、島村にこの文書を提出したようです。
この文書提出して道標を建てたのは千手寺の一抱、その年は文政元年(1818)で、今から191前であったことが判明します。
地域の史料を丹念に調べていくと、埋もれた地域の歴史を再発見していくことが出来るように思います。