2009年12月01日

不思議な村の移動・・・歴史講演会から

 日夏歴史研究会が年に一度開催している「日夏の歴史と文化についての講演会」、去る11月29日午後開催されました。
 今回は島集会所を会場に、「島の集落の成立について考える」をテーマに開催されました。



 今回は、日夏重雄さんからは島について「聞いていること、気づいていること」について話され、寺村二三夫さんからは島自治会文書をもとに、二回に及ぶ島の集落の移動を中心に説明されました。二人の講師の意見交換や参加者からも活発に質問や意見が出されました。特別に展示された絵図や古文書についても説明されました。



 島の集落は1570年代頃に古屋敷から字本郷の地に移転したと考えられており、現在集落があるのは字三代神にあり、再度集落移転が行なわれたことが明らかです。この2回目の集落移転の原因やその時期が議論の中心でした。
    古屋敷→本郷→三代神(現在地)

 明治4年(1871)6月の詳細な絵図では、「字本郷」に屋敷が描かれていますが、明治4年(1871)8月の絵図では本郷の部分が水田になって、現在地に集落が描かれています。

明治4年(1871)8月の嶋村絵図 赤く太い線は朝鮮人街道


 寺村二三夫氏の話では、本郷→三代神(現在地)の時期は、1630年頃には移動が完了していたと考えたいとのことでした。更に議論がつづくことと思います。

 日夏重雄さんからは、天満で瓦を焼いていたこと、不動さんが山にあったが、五僧田に持っていったが島へ帰りたいと言われるので島に祀られるようになったこと、また、島の小宮さん八幡宮の社殿の中に観音像があり、唐崎神社へ合祀の時、神社で預かれないので地蔵堂の中に収められていること、天王山へ太鼓を持って行き、八幡道はたいこ道とも呼んだことなど興味深い話をお聞きしました。

 人々が語り伝えてきた民間伝承について、記録し伝えていくことが極めて大切と思われます。今!



Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 20:00 Comments( 0 ) 日夏歴史研究会
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日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。