2013年05月27日
荒神山の遺跡見学
日夏歴史研究会新緑の荒神山の史跡見学会、5月25日(土)にありました。
先ず、千手観音が安置されている観音堂がある山寺の千手寺へ行きました。

今回は千手寺後方の山中にある行者堂の探索を行いました。
訪れる人もなく、行者堂への山道は分かりにくくなっていました。
墓地が連なっている南の尾根からぐるっと廻って、何とかたどり着くことが出来ましたが、かなり荒れています。

『日夏の歴史』(日夏村役場文書)によると、明治20年、愛知郡東押立村丸友講より分祀し、石頭山丸友講として、毎年5月8日、6月30日、10月1日に講員が例祭を行い、夏に大峰山に参拝したと言います。役行者像は千手寺に保管されています。かつて、行者堂の下の平場には籠堂(こもりどう)があり、その痕跡も確認できます。

堂の後方の尾根に上がると大きな石があり、千手寺の山号「石頭山」と関係があるのではと思いたくなります。
木の枝なども倒れかかった参道の掃除が望まれます。
今回は、更に荒神山神社の参道から少し入ったところにある古墳を見学しました。

横穴式石室があり、玄室の幅は2.3~2.9mと広く、現存する玄室長は3.4mです。いわゆる羨道部は両袖式となっていますが石積がやや不自然で、現羨道の脇に稲荷の祠があり、改変されている可能性が考えられそうです。
更に、千手寺の少し北側で林道工事により壊れていた古墳の痕跡も確認しました。

わかるでしょうか? 玄室の幅2.4m、長さ4.2m以上あり、南東に開口していたとかんがえられますが。林道を歩く人が見ている風景です。

古墳への山道は整備されていましたが、古い丸太が放置されたままになっていて残念に思いました。
山道を歩くと涼しい風が心地よく、新緑の荒神山山麓を満喫しました。
先ず、千手観音が安置されている観音堂がある山寺の千手寺へ行きました。

今回は千手寺後方の山中にある行者堂の探索を行いました。
訪れる人もなく、行者堂への山道は分かりにくくなっていました。
墓地が連なっている南の尾根からぐるっと廻って、何とかたどり着くことが出来ましたが、かなり荒れています。

『日夏の歴史』(日夏村役場文書)によると、明治20年、愛知郡東押立村丸友講より分祀し、石頭山丸友講として、毎年5月8日、6月30日、10月1日に講員が例祭を行い、夏に大峰山に参拝したと言います。役行者像は千手寺に保管されています。かつて、行者堂の下の平場には籠堂(こもりどう)があり、その痕跡も確認できます。

堂の後方の尾根に上がると大きな石があり、千手寺の山号「石頭山」と関係があるのではと思いたくなります。
木の枝なども倒れかかった参道の掃除が望まれます。
今回は、更に荒神山神社の参道から少し入ったところにある古墳を見学しました。

横穴式石室があり、玄室の幅は2.3~2.9mと広く、現存する玄室長は3.4mです。いわゆる羨道部は両袖式となっていますが石積がやや不自然で、現羨道の脇に稲荷の祠があり、改変されている可能性が考えられそうです。

更に、千手寺の少し北側で林道工事により壊れていた古墳の痕跡も確認しました。

わかるでしょうか? 玄室の幅2.4m、長さ4.2m以上あり、南東に開口していたとかんがえられますが。林道を歩く人が見ている風景です。

古墳への山道は整備されていましたが、古い丸太が放置されたままになっていて残念に思いました。
山道を歩くと涼しい風が心地よく、新緑の荒神山山麓を満喫しました。
Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 23:30│Comments(0)
│日夏歴史研究会