2010年08月11日
日夏まちかど探検
8月8日に日夏まちかど探検の第3回目 中沢と島の現地見学会が開催された。
旧日夏村役場に集まり、朝鮮人街道を歩き郵便局のあったところの確認、大川沿いで水車が設けられた場所等を確認しながら、専精寺へ。
専精寺では、坊守の廣瀬節子氏から丁寧に寺の歴史の説明をいただいた。

現住職廣瀬興道氏で10代目になること、正徳5年本尊及び寺号を付与され、七高僧絵像と聖徳太子絵像は宝暦10年(1760)に付与されたことなどをお話しいだたいた。
東京に在住し法制局に出仕し、日夏村や高宮村などに新しい情報をもたらした廣瀬進一氏の写真も確認させていただいた。
旧日夏小学校に掲げられていた写真とのことで、日夏出身の人として広く認識されていたことを物語っているのであろう。
また、明治36年からの本堂新築の経過なども詳しく紹介され、本堂正面の「専精閣」の額は、明治40年8月廣瀬進一墓地及び寺に参詣した記念に錦織寺門主の書であることを、額の添書を示しながらから説明いただいた。
廣瀬進一の旧宅も見学させていただけた。
島では、不動堂・水谷醤油醸造場・惣池等を確認した上で、正福寺へ。

正福寺では住職小林秀明氏から丁寧な説明を受けた。
行基菩薩が造営した四十九院の一つとの伝承をもつが、本尊下付は正徳2年(1712)とのことであるが、日夏の他の寺院と同様寄合道場であった。

文化13年(1816)の再建棟札などを確認しながらの説明で、きれいになっているが現在の部材も当時のものであることを再確認させていただいた。
無量壽経の梵字を陽鋳した鐘楼、地蔵堂も確認させていただいた。
充実した半日だった。
旧日夏村役場に集まり、朝鮮人街道を歩き郵便局のあったところの確認、大川沿いで水車が設けられた場所等を確認しながら、専精寺へ。
専精寺では、坊守の廣瀬節子氏から丁寧に寺の歴史の説明をいただいた。

現住職廣瀬興道氏で10代目になること、正徳5年本尊及び寺号を付与され、七高僧絵像と聖徳太子絵像は宝暦10年(1760)に付与されたことなどをお話しいだたいた。
旧日夏小学校に掲げられていた写真とのことで、日夏出身の人として広く認識されていたことを物語っているのであろう。
また、明治36年からの本堂新築の経過なども詳しく紹介され、本堂正面の「専精閣」の額は、明治40年8月廣瀬進一墓地及び寺に参詣した記念に錦織寺門主の書であることを、額の添書を示しながらから説明いただいた。
廣瀬進一の旧宅も見学させていただけた。
島では、不動堂・水谷醤油醸造場・惣池等を確認した上で、正福寺へ。

正福寺では住職小林秀明氏から丁寧な説明を受けた。
行基菩薩が造営した四十九院の一つとの伝承をもつが、本尊下付は正徳2年(1712)とのことであるが、日夏の他の寺院と同様寄合道場であった。

文化13年(1816)の再建棟札などを確認しながらの説明で、きれいになっているが現在の部材も当時のものであることを再確認させていただいた。
無量壽経の梵字を陽鋳した鐘楼、地蔵堂も確認させていただいた。
充実した半日だった。
Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 08:00│Comments(0)
│日夏歴史研究会