芭蕉の孫弟子 冶天のお話
今日の午前は荒神山神社の古文書を読む会で、午後の村役場事務室談話会は、寺村滋氏の話題提供でした。
話しの最初は、日夏にある凄いもの2つから。
土の中にあるものと上にあるもの話しで、まるでとんちクイズのよう。

話しの本題は、芭蕉の弟子森川許六の弟子雲茶店冶天の墓が千手寺にあり、その発見と顕彰についてのお話でした。
高校の夏の宿題で、日夏に埋もれたものを千手寺へ調べに行き、寺西全祥師から教えられた雲茶店冶天こと森野宗兵衛冨秋(彦根藩の医者で周拙)の墓のこと。
それは、昭和17年11月尾形仂から雲茶居士の墓があるとのことで死亡年齢を照会され、全祥師が調査し発見されたとのこと。老禅僧と研究者尾形氏への敬意と感謝、昭和60年に日夏ホトトギス会が「雲茶之墓」の顕彰碑の建立、更に平成18年夏に千手寺山下の山門横への顕彰碑設置と千手寺境内石段横へ顕彰碑などについて紹介いただくと共に、石川柊氏の『潺々-芭蕉・五老井の流れ』を紹介いただきました。許六の一番弟子の冶天が少し身近になったように思います。
夕方、早速荒神山ウオークのついでに、冶天の顕彰碑を確認に行きました。
山下の碑の冶天の句は、「きぬ一重 ぬきもさためす 初桜」


境内下の冶天の句は、「底ぬいて 見たれはもとの 瓢かな」


背面に刻まれた寺村滋氏の句は、「老鶯の もう一声を 待つ静寂」。
今日も鶯が鳴いていました。
話しの最初は、日夏にある凄いもの2つから。
土の中にあるものと上にあるもの話しで、まるでとんちクイズのよう。
話しの本題は、芭蕉の弟子森川許六の弟子雲茶店冶天の墓が千手寺にあり、その発見と顕彰についてのお話でした。
高校の夏の宿題で、日夏に埋もれたものを千手寺へ調べに行き、寺西全祥師から教えられた雲茶店冶天こと森野宗兵衛冨秋(彦根藩の医者で周拙)の墓のこと。
それは、昭和17年11月尾形仂から雲茶居士の墓があるとのことで死亡年齢を照会され、全祥師が調査し発見されたとのこと。老禅僧と研究者尾形氏への敬意と感謝、昭和60年に日夏ホトトギス会が「雲茶之墓」の顕彰碑の建立、更に平成18年夏に千手寺山下の山門横への顕彰碑設置と千手寺境内石段横へ顕彰碑などについて紹介いただくと共に、石川柊氏の『潺々-芭蕉・五老井の流れ』を紹介いただきました。許六の一番弟子の冶天が少し身近になったように思います。
夕方、早速荒神山ウオークのついでに、冶天の顕彰碑を確認に行きました。
山下の碑の冶天の句は、「きぬ一重 ぬきもさためす 初桜」
境内下の冶天の句は、「底ぬいて 見たれはもとの 瓢かな」
背面に刻まれた寺村滋氏の句は、「老鶯の もう一声を 待つ静寂」。
今日も鶯が鳴いていました。