高宮 蓬莱山に出会う
暑い中進められていた日夏山の実測は、8月9日に一段落しました。

戦後の復興期の曳山として全体が残っている高宮の蓬莱山を見に行きました。
8月12日午後、高宮宿夏まつりに蓬莱山が引き出されているとのことで、念のため自転車で向かいました。
行ってびっくり。

あまりの人の多さにびっくり。
高宮のまちづくりは成功しているのではないかと思わざるを得ませんでした。

了解を得ているので、滋賀県立大学の迫田先生と刈谷さん、中西さんが実測を実施されました。

また、おとくらのオーナーの加藤さんの紹介で、25年前(昭和62年)に高宮の曳山を再興されたメンバーの田中さんから、写真や襖、見返しの幕も拝見させていただきました。
高宮出身者が彦根で活躍していたこともお聞きしましたが、幕には昭和27年と記されていました。
彦根の曳山につづいて作られたと言えそうです。
日夏山では知ることができなかった下部が気になりました。

この蓬莱山は夕方に音頭の櫓として利用されるとのことでした。
蓬莱山は、5月5日の高宮子どもまつりに引き回されるとのこと。
25年前に傷んでいた曳山を修理再興し、現在に蓬莱山保存会として継続していることはすばらしい。
暑かったですが、高宮宿夏まつりも多くの団体が協力して成り立っている様子など、高宮のまちづくりに学ぶべきことが多いように思われました。

戦後の復興期の曳山として全体が残っている高宮の蓬莱山を見に行きました。
8月12日午後、高宮宿夏まつりに蓬莱山が引き出されているとのことで、念のため自転車で向かいました。
行ってびっくり。

あまりの人の多さにびっくり。
高宮のまちづくりは成功しているのではないかと思わざるを得ませんでした。

了解を得ているので、滋賀県立大学の迫田先生と刈谷さん、中西さんが実測を実施されました。

また、おとくらのオーナーの加藤さんの紹介で、25年前(昭和62年)に高宮の曳山を再興されたメンバーの田中さんから、写真や襖、見返しの幕も拝見させていただきました。
高宮出身者が彦根で活躍していたこともお聞きしましたが、幕には昭和27年と記されていました。
彦根の曳山につづいて作られたと言えそうです。
日夏山では知ることができなかった下部が気になりました。

この蓬莱山は夕方に音頭の櫓として利用されるとのことでした。
蓬莱山は、5月5日の高宮子どもまつりに引き回されるとのこと。
25年前に傷んでいた曳山を修理再興し、現在に蓬莱山保存会として継続していることはすばらしい。
暑かったですが、高宮宿夏まつりも多くの団体が協力して成り立っている様子など、高宮のまちづくりに学ぶべきことが多いように思われました。