日夏里館2011年 この一年
一年前の年末は、吹雪でした。
今年は、穏やかな年の瀬と年始です。


日夏里館の保存に取り組みだして2年と10ヶ月程度。
昨年の31日の投稿を見ていると、
2010年の1年を振り返ると色々なことがあり、建物が残ったことにより色々な可能性が生まれつつあること、しかし、傷んだ建物の改修など課題も多いことを確認し、多くのみなさんの支援がなくては遂行できないことだということを実感した1年でもあった。
2011年のこの一年にもいろいろなことが動いている。
2月19日 県立大学近江地域再生学座コミュニティプロジェクトの発表会で、荒木敬之氏「日夏まちづくりフォーラム」の提案、又吉重太氏は発見された設計図を中心に調査報告書づくりのプロジェクトを進めつつあるが、発表は大学生と地域の連携のための組織づくりについて提案された。
2月25日発行のチェキポン「知られざるヴォーリズ建築」で日夏里館が紹介された。
4月6日 東北関東大震災チャリティー いのちをつなぐコンサートが二階大広間で開催される。震災のことを考えながらはじめての生演奏を聞くことができた。また、5月2日~7日物産展「ふくしまから生まれた ひと モノ こころ」一階ホールで開催された。
5月6日には、湖東定住自立圏地域創造事業「ヴォーリズ建築旧日夏村役場再発見事業」が採択され、6月5日には第一回の旧日夏村役場建物調査委員会を開催し、本格的に調査報告書作りが動き出すことになった。
そして、嬉しいことに、7月19日 ヴォーリズ建築事務所で図面の写真撮影させていただいたが、41点の設計図が残されていた。
8月7日には、石井和浩氏をむかえて「ヴォーリズ建築旧日夏村役場再発見事業」旧日夏村役場見学会・中間報告会開催することができた。
ところが、9月3日大型台風12号のため南の入口の袖壁が崩落してしまった。これは、修復の必要性を認識していた部分ではあったが、遅かりし・・・。
9月4日から滋賀県立大学迫田先生ほかによる建物現地調査が開始された。
10月2日、日夏里館を利用いただいていた日夏町自治会が移転され、10月9日新築日夏町公民館が開館された。
ところが、新公民館への移設をお願いした地域の時報サイレンは、10月10日に止められ、11月15日撤去された。いろいろ思うところはあるが、機会があればお伝えしたい。
11月23日には、第3回目の日夏里館フェスタが開催された。歴史講演会、日夏を代表する日本画家寺嶋白耀氏の絵画の特別展示やフラダンスもあった。
12月17日、旧豊郷小学校講堂で開催された「湖東地域の歴史的建造物を活かしたまちづくり-地域住民参加によるシンポジウム- 第2回目の午後多くの方にお越しいただくことができた。その企画は、旧愛知郡役所庁舎の保存活用を目指す「こころばえの会」主催で学ぶことも多かった。
12月23日には、日夏のまち歩きを行うヒナツクエスト、県立大学生によるプロジェクトで、参加者から私の気づかないの点などを指摘いただくことができた。
12月17日講演された川端五兵衛氏の言葉を日夏に当てはめて考えると、次のようになるのではないでしょうか。
「日夏村役場と産業組合の合同庁舎は歴史的に日夏発展、日夏のまちづくりの原点だった。この建物の傷みは、日夏の人の心の傷み(痛み・・・)だった。この建物が村役場と農協の機能を失ったあと、まちづくりに真剣に取り組まなくなったことが原因だ。昔は日夏の人々はこの建物を自慢し心から愛していた。建物は自然に朽ち果ててきたのではない。日夏の人たち自身が傷め朽ちさせた張本人である。」そして、「この建物が無くなった瞬間から後悔が始まる」ということが本当ではないか。
そんなことを再確認したこの一年であり、やはり多くの方々に支援をいただいた一年でした。
3月17日午後には最終報告会を計画中ですが、それにしても傷んだ建物の修復と保存への道は、まだまだこれからで、どこまでできるのかは?。
最後に、今日の元旦会の様子を追加しておきたいと思います。

今年は、穏やかな年の瀬と年始です。


日夏里館の保存に取り組みだして2年と10ヶ月程度。
昨年の31日の投稿を見ていると、
2010年の1年を振り返ると色々なことがあり、建物が残ったことにより色々な可能性が生まれつつあること、しかし、傷んだ建物の改修など課題も多いことを確認し、多くのみなさんの支援がなくては遂行できないことだということを実感した1年でもあった。
2011年のこの一年にもいろいろなことが動いている。
2月19日 県立大学近江地域再生学座コミュニティプロジェクトの発表会で、荒木敬之氏「日夏まちづくりフォーラム」の提案、又吉重太氏は発見された設計図を中心に調査報告書づくりのプロジェクトを進めつつあるが、発表は大学生と地域の連携のための組織づくりについて提案された。
2月25日発行のチェキポン「知られざるヴォーリズ建築」で日夏里館が紹介された。
4月6日 東北関東大震災チャリティー いのちをつなぐコンサートが二階大広間で開催される。震災のことを考えながらはじめての生演奏を聞くことができた。また、5月2日~7日物産展「ふくしまから生まれた ひと モノ こころ」一階ホールで開催された。
5月6日には、湖東定住自立圏地域創造事業「ヴォーリズ建築旧日夏村役場再発見事業」が採択され、6月5日には第一回の旧日夏村役場建物調査委員会を開催し、本格的に調査報告書作りが動き出すことになった。
そして、嬉しいことに、7月19日 ヴォーリズ建築事務所で図面の写真撮影させていただいたが、41点の設計図が残されていた。
8月7日には、石井和浩氏をむかえて「ヴォーリズ建築旧日夏村役場再発見事業」旧日夏村役場見学会・中間報告会開催することができた。
ところが、9月3日大型台風12号のため南の入口の袖壁が崩落してしまった。これは、修復の必要性を認識していた部分ではあったが、遅かりし・・・。
9月4日から滋賀県立大学迫田先生ほかによる建物現地調査が開始された。
10月2日、日夏里館を利用いただいていた日夏町自治会が移転され、10月9日新築日夏町公民館が開館された。
ところが、新公民館への移設をお願いした地域の時報サイレンは、10月10日に止められ、11月15日撤去された。いろいろ思うところはあるが、機会があればお伝えしたい。
11月23日には、第3回目の日夏里館フェスタが開催された。歴史講演会、日夏を代表する日本画家寺嶋白耀氏の絵画の特別展示やフラダンスもあった。
12月17日、旧豊郷小学校講堂で開催された「湖東地域の歴史的建造物を活かしたまちづくり-地域住民参加によるシンポジウム- 第2回目の午後多くの方にお越しいただくことができた。その企画は、旧愛知郡役所庁舎の保存活用を目指す「こころばえの会」主催で学ぶことも多かった。
12月23日には、日夏のまち歩きを行うヒナツクエスト、県立大学生によるプロジェクトで、参加者から私の気づかないの点などを指摘いただくことができた。
12月17日講演された川端五兵衛氏の言葉を日夏に当てはめて考えると、次のようになるのではないでしょうか。
「日夏村役場と産業組合の合同庁舎は歴史的に日夏発展、日夏のまちづくりの原点だった。この建物の傷みは、日夏の人の心の傷み(痛み・・・)だった。この建物が村役場と農協の機能を失ったあと、まちづくりに真剣に取り組まなくなったことが原因だ。昔は日夏の人々はこの建物を自慢し心から愛していた。建物は自然に朽ち果ててきたのではない。日夏の人たち自身が傷め朽ちさせた張本人である。」そして、「この建物が無くなった瞬間から後悔が始まる」ということが本当ではないか。
そんなことを再確認したこの一年であり、やはり多くの方々に支援をいただいた一年でした。
3月17日午後には最終報告会を計画中ですが、それにしても傷んだ建物の修復と保存への道は、まだまだこれからで、どこまでできるのかは?。
最後に、今日の元旦会の様子を追加しておきたいと思います。

12/9 報告会のこと
ブログで日夏の秋を紹介しないまま冬に入ってしまった。
12月9日の東日本大震災支援の報告会で二階大広間は北西側に窓があるためすきま風がかなりあったと聞きました。
今日の午後は二階の建具の透き間に発泡ポリエチレン材を差し込み、薄くて入らない場所には新聞紙を折って詰めてみました。少しは風を防げるかと思いますが、よくなるでしょうか。
ところで先の報告会に参加できなかったのですが、山形蓮さん(滋賀県立大学人間文化学研究科地域学研究室)が編集された『宮城県南三陸町田の浦の漁師が伝える海と人との暮らしかた』の閲覧用があったので少し読ませていただきました。昔からの言い伝えの大切さが思われます。

明治29年(1896)の、昭和8年(1933)、昭和35年、そして、平成23年3月11日の大地震と津波。未来の田の浦のためにも、今、津波の記憶をを語り継ぐことが大切だと。
田の浦の豊かな海。ホタテ・ホヤ・ワカメの養殖で海辺でも屈指の漁獲高を誇った。
しかし、津波で養殖施設も、船も、浜にあった漁具も施設も建物も流し去った。それでも漁師たちは再び海へ向かっている。海の恵みとも脅威とも向き合い続け、これからも海と共に生きようとする田の浦の人たちの話が収録されている。
まずは、地域の昔のことの聞き取りは喜んで迎えられたようだ。地震のことはその後で語り出されたそうだ。
明日は、旧日夏村役場建物調査報告調査報告書のために、建物の写真撮影のため滋賀県立大学の奥貫隆先生にお越しいいただく予定です。楽しみにしています。
12月9日の東日本大震災支援の報告会で二階大広間は北西側に窓があるためすきま風がかなりあったと聞きました。
今日の午後は二階の建具の透き間に発泡ポリエチレン材を差し込み、薄くて入らない場所には新聞紙を折って詰めてみました。少しは風を防げるかと思いますが、よくなるでしょうか。
ところで先の報告会に参加できなかったのですが、山形蓮さん(滋賀県立大学人間文化学研究科地域学研究室)が編集された『宮城県南三陸町田の浦の漁師が伝える海と人との暮らしかた』の閲覧用があったので少し読ませていただきました。昔からの言い伝えの大切さが思われます。
明治29年(1896)の、昭和8年(1933)、昭和35年、そして、平成23年3月11日の大地震と津波。未来の田の浦のためにも、今、津波の記憶をを語り継ぐことが大切だと。
田の浦の豊かな海。ホタテ・ホヤ・ワカメの養殖で海辺でも屈指の漁獲高を誇った。
しかし、津波で養殖施設も、船も、浜にあった漁具も施設も建物も流し去った。それでも漁師たちは再び海へ向かっている。海の恵みとも脅威とも向き合い続け、これからも海と共に生きようとする田の浦の人たちの話が収録されている。
まずは、地域の昔のことの聞き取りは喜んで迎えられたようだ。地震のことはその後で語り出されたそうだ。
明日は、旧日夏村役場建物調査報告調査報告書のために、建物の写真撮影のため滋賀県立大学の奥貫隆先生にお越しいいただく予定です。楽しみにしています。
タグ :田の浦
はや2年半 サイレンは聞こえない
日夏里館保存への取り組みは、二年半前にはじまった。
2009年4月19日の春祭りの日の日夏里館。

この日には、日夏町自治会は日夏村役場の建物を不要とし、保存しないことを既に決定していた。
その後、その事実が明らかとなり、地域の先祖の思いを少しでも伝えるため、この建物の保存に取り組むことになってしまった。
建物を保存するためには雨漏もりしている屋根の修理が何をさておき大切で、それは2009年5月8日にはじまった。

この時一応下ろしたサイレンは、屋根の葺き替え後復帰された。
長年午前7時と11時と午後4時の三回地域の人々の大切な時報となっていた。
しかし、このサイレンも2011年10月10日から止まっている。
即時の停止は願いではない。
今日は寒い中、滋賀県立大学の迫田先生と学生の方々が、建物調査を進めてくださいました。本当にありがとうございます。
また、9月3日の台風十二号による雨の吹き込みが激しかったため、木製窓に水切りを設置する作業も始まりました。
保存に取り組んで二年半。早ブログをはじめて二年になります。
最初は何も分からずに写真も荒いものを入れたりで申し訳ありません。
ここ最近はできるだけ月曜日に投稿するように考えていますが、少し遅れ気味の場合もあります。
頑張って続けていきたいと思います。
2009年4月19日の春祭りの日の日夏里館。

この日には、日夏町自治会は日夏村役場の建物を不要とし、保存しないことを既に決定していた。
その後、その事実が明らかとなり、地域の先祖の思いを少しでも伝えるため、この建物の保存に取り組むことになってしまった。
建物を保存するためには雨漏もりしている屋根の修理が何をさておき大切で、それは2009年5月8日にはじまった。

この時一応下ろしたサイレンは、屋根の葺き替え後復帰された。
長年午前7時と11時と午後4時の三回地域の人々の大切な時報となっていた。
しかし、このサイレンも2011年10月10日から止まっている。
即時の停止は願いではない。
今日は寒い中、滋賀県立大学の迫田先生と学生の方々が、建物調査を進めてくださいました。本当にありがとうございます。
また、9月3日の台風十二号による雨の吹き込みが激しかったため、木製窓に水切りを設置する作業も始まりました。
保存に取り組んで二年半。早ブログをはじめて二年になります。
最初は何も分からずに写真も荒いものを入れたりで申し訳ありません。
ここ最近はできるだけ月曜日に投稿するように考えていますが、少し遅れ気味の場合もあります。
頑張って続けていきたいと思います。
まちづくりは継承すること
10月15日午前、南地区公民館で「ぐる~っと荒神山 まちづくりシンポジウム」があった。残念ながら、会場へ行くことができなかったため、テープで聞かせていただいた。

基調講演は、滋賀県立大学の鵜飼修氏。鵜飼氏のテーマは「大学、学生との連携によるまちづくり」でした。
鵜飼氏の講演の中では氏の各地での取り組み、特色ある県立大学の紹介がなされたが、次のような言葉が気にかかった。
「まちづくりは継承すること。」
「本質を見極め未来につなぐ。」
何を継承するのかについては、地域を知ることが大切で、多面的に地域を見ることが大切で、地域診断法の紹介があった。
地域資源の活用が大切で、長いスパンで活動を継続することが大切とのこと。
地域の課題をビジネスとして解決するコミュニティ・ビジネスが大切であること。そこでは、やっている人が活き活きしている。ex.徳島県上勝町の葉っぱビジネスの紹介もあったが。
眠っている資源を再評価し、活用できる資源とし、漠然としている問題・課題を洗い出し、抽出された問題・課題からテーマを選び、黙っている人材に動機付け、意欲ある人材、使命感を持った人育て、コミュニティ・ビジネスを進める。そのためには、様々な働きかけが必要とのこと。
ところで、昔のビジネスは、地域のため、社会のためであった。
この集落の大事なものは何かを学び考えることを話された。
日夏で大切なものは何か、継承すべきものは何か問うていきたいものです。その中に、自治の中心として日夏の人々が精力を傾けて建設した旧日夏村役場(現日夏里館)が加えられるならば、そんな嬉しいことはないのだが。

基調講演は、滋賀県立大学の鵜飼修氏。鵜飼氏のテーマは「大学、学生との連携によるまちづくり」でした。
鵜飼氏の講演の中では氏の各地での取り組み、特色ある県立大学の紹介がなされたが、次のような言葉が気にかかった。
「まちづくりは継承すること。」
「本質を見極め未来につなぐ。」
何を継承するのかについては、地域を知ることが大切で、多面的に地域を見ることが大切で、地域診断法の紹介があった。
地域資源の活用が大切で、長いスパンで活動を継続することが大切とのこと。
地域の課題をビジネスとして解決するコミュニティ・ビジネスが大切であること。そこでは、やっている人が活き活きしている。ex.徳島県上勝町の葉っぱビジネスの紹介もあったが。
眠っている資源を再評価し、活用できる資源とし、漠然としている問題・課題を洗い出し、抽出された問題・課題からテーマを選び、黙っている人材に動機付け、意欲ある人材、使命感を持った人育て、コミュニティ・ビジネスを進める。そのためには、様々な働きかけが必要とのこと。
ところで、昔のビジネスは、地域のため、社会のためであった。
この集落の大事なものは何かを学び考えることを話された。
日夏で大切なものは何か、継承すべきものは何か問うていきたいものです。その中に、自治の中心として日夏の人々が精力を傾けて建設した旧日夏村役場(現日夏里館)が加えられるならば、そんな嬉しいことはないのだが。
タグ :まちづくりコミュニティ・ビジネス