2013年01月22日

日夏里館前の石碑

朝鮮人街道沿いの日夏里館の道の北側に苔生した石碑があります。



以前から気になっていたのですが、現状では読みにくく、振り返られることがないのが実情です。

 良質の石材に刻まれた文字は、こけを掃除すれば読むことができます。
 碑上部の題名も勿論縦書きで、「故近衞歩兵天野栄次郎之碑」と刻まれています。下手な拓本を採って本文を読んでみました。

 天野栄次郎は資性温厚、事に臨んで逡巡しなかったので、郷中に愛された。
父は孫平、その三男である。適齢期に近衞に入り、これは明治27年(1894)であった。
兵籍にあり精励し能く軍規を墨守した。
日本は清国に宣戦布告し、栄次郎も出征奮戦したが、金洲野戦病院に斃れた。
遺族は哀悼のため碑を建て永く忠魂を慰まんとした。
明治31年(1898)10月、兄の天野他次郎が建てた。



天野栄次郎氏が亡くなった時期は、日清戦争と関係があるようです。

日本は、明治27年(1894)8月1日清国に宣戦布告し(日清戦争)、明治28年(1895)4月17日日清講和条約に調印した。
朝鮮の独立の承認、遼東半島・台湾・膨湖列島の割譲、賠償金の2億両支払い、欧米なみの通商条約締結などを得た。
この日清戦争の損害では、死者・廃疾者1万7000人、馬1万1500頭、軍費2億47万という。
4月23日独仏露3国公使は、遼東半島の清国への返還を勧告する覚書を提出(三国干渉)した。

日清戦争の戦死者の石碑でした。
戦争について考えさせてくれる遺産の一つかも知れません。
日本側からの見方のみでなく、清国や朝鮮半島・台湾の側から考えてみることも大切なのでしょう。
地域の歴史の中で、このような石碑をどのように活かしていくのか、課題かも知れません。



Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 00:08 Comments( 0 ) 日夏里館周辺

2010年09月07日

日夏里館からの景色

日夏里館の活用をめぐって、県立大学の学生さんによるワークショップを開いて頂けるとのことで、去る9月6日、事前の打ち合わせに来館されました。

二階の大広間は比較的風が通り、自然の風と扇風機を援用して過ごすことができます。

どんな議論になるのか、大変楽しみにしています。

ところで、この時二階の窓から見た景色をお見せしておきます。
先ずは、北側。


 次に西側はこんな景色です。



 前の道は朝鮮人街道で、正面の建物は少し前までは川崎自転車店で、右端のシャッターは植野食料品店でした。後の山は勿論荒神山です。

次に南側はこんな感じ。



河瀬駅の方を向いているのですが、日夏里館の建物が完成した昭和10年頃はずっと田圃だったそうです。

地域の著しい変化を感じずにはおれません。

北側は農協の敷地だったのですが、建物が解体され、分譲宅地として売却されています。
すみませんが、省略しました。

是非、ご自分の目でご確認下さい。




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 12:00 Comments( 0 ) 日夏里館周辺

2010年08月30日

日夏里館近くで重機音?

日夏里館(ひかりかん)周辺で重機音がするのです。
2・3日前からのことです。

そこは、北東側、日夏幼稚園のグランドの隣です。



グランドの西隣は新しい町民会館建設地として、日夏町自治会が購入すると言われているところです。

グランドは保育園は勿論、ゲートボールなどにも使用されているところですが、
今回の工事でフェンスや便所なども撤去されています。

新しい町民会館建設に向けて動き出したようですが、どうなるのでしょうか?


Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 20:49 Comments( 0 ) 日夏里館周辺
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プロフィール
日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。