2018年05月19日

城陽小3年生が来館

 15日は上天気で、城陽小学校3年生45人が見学に来てくれました。嬉しい。


折角ですので、1階ホールから村役場事務室や村長室も通って2階大広間へ案内しました。アメリカ移民の多い村で、アメリカから来たヴォーリスさんの建築事務所の設計により83年前に村の人々が総力を挙げて建てたことなどをお話ししました。資料も用意したのでずか、漢字が多く読めないので、お家の人に読んでいただけるようにとお願いしました。地域の人々が想いを込めた建物を、今後も大切に伝えていきたいとの思いも。

 保存に取り組んで9年を経過しましたが、この3月末から4月初めに悲しいことががあり、ブログの投稿も少し滞っていました。これからの世代にこの建物の良さを伝えていきたいと思いました。
 ところで、子どもたちが来てくれた時村役場のカウンターにホコリがたまっていたので、今日は少し掃除しました、また、日夏里館南側の小川に藻が繁茂していたので、川浚えをしました。風が強く寒い日でしたが、川の水は湧水のため暖かかったです。

ボチボチ頑張ります。また、ご支援下さい。




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 20:06 Comments( 0 ) 活動メモ

2018年05月08日

今日は、日夏村役場事務室談話会

最近投稿が滞っていましたが、実はいろいろありました。
ともかく、今日の午前は、荒神山神社の古文書を読む会でした。

午後は、日夏里館事務室談話会で、話題提供は飛喜多儀造さん。
日夏八ヶ字の中で日夏里館がある妙楽寺集落の方で、昭和5年3月9日生まれで、88才とのこと。地域のことを多く聞き伝えておられ、お祖父さんからの聞き伝えも多くあるとのこと。

いろいろなお話をお聞きしましたが、日夏里館の屋根は1尺に5寸の傾斜で、地域の一般的な傾斜より強いとのことで、両翼が出ているのは鉄道を意識しての意匠とのことでした。
日夏の日本画家寺嶋白耀氏については、日展の入選作「晩秋の里山」があり、絵はがきも作られていたとのことですが、どこへ行ったのかな?
唐崎神社には鳥の画軸があるとのこと。
寺村と妙楽寺の境に「そこの橋」があったが、「そうこうの橋」が詰まったもので、僧の作った橋で、五僧田・筒井などの人も利用した橋で、伝説の世界に属しそうな話しでした。
ところで、儀造さんは50年ほど前から洋ランの栽培開発をしておられ、新種の開発なども興味深いことでした。
今後、日夏の8つの集落のことを順に学んでいきたいと思います。
乞うご期待。




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:31 Comments( 0 ) 活動メモ 日夏里館

2018年04月10日

午後は日夏里館で談話会 組合村の発見

今日は第2火曜、月に一度の古文書を読む会と談話会です。
午前は荒神山神社の古文書を読む会で、始まる前に日夏里館の前庭の掃除をしました。
午後は日夏里館の談話会で、今日は寺村二三夫氏の話題提供で、テーマは「日夏村役人講(日夏村役場文書)から判ること」でした。


日夏村役場文書中に残っている二点の江戸時代の記録の紹介で、天明6年(1786)~万延元年(1860)の75年間に亘る記録です。天明6年に日夏八ヶ村が月1回の講を成立させ、月200文の負担(懸け銭)を出し、会場は持ち回りとあります。江戸時代の村は村の境界が明らかで、村内で起こったことはその村で処理するのが普通で、例えば旅人が病気になった場合などもその村で手当や報告等をしますが、日夏八ヶ村のどこかの村で起こった場合でも八ヶ村として対応することを申し合わせており、いわゆる「組合村」として協力していたことを知ることが出来ます。各村の庄屋が当番となって記録していますので、各村の庄屋が誰であったかもかにり判明し、興味深い史料です。
明治7年(1874)5月24日、八ヶ村が合併して一村となり、今日の日夏町につながっていますが、その伝統の一部が見えるように思います。

ところで、ソメイヨシノは散ってしまいましたが、8日の10:00~14:00まで妙楽寺山で山遊びをしました。少し寒かったのですが、オオシマザクラは見頃で、「春の里山をめでる会」でした。

春にって畑仕事や田の仕事に追われる毎日になりそうです。
そのほかにもいろいろなことがあるのですが、また、機会があれば紹介します。




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 22:11 Comments( 0 ) 活動メモ

2018年03月19日

東北 福島に居た「日夏氏」!

これから晴れの日はしんどい。畑仕事に追われそうです。
しかし、3月13日の日夏村役場事務室談話会は面白かった。



日夏重雄さんの話題提供で、福島県二本松市に「日夏氏」がおられ、訪ねられたというお話です。「日夏氏」はありそうな苗字ですが、ほとんど無いようです。偶然に「御菓子処 日夏」の存在を知り訪ねられたら、古く日夏の地から移住されたことが明らかな事例と確認されたとのこと。井伊家入部以前に佐和山城主であった丹羽長秀に従い、越前そして丹羽氏に従って二本松に移住されたことが確実とのことでした。現在作成中の4月1日号『日夏里館だより』に収録します。
乞うご期待!


ところで、3月18日午後には畑仕事をサボって、『霊仙山をめぐる山城』のシンポジュウムを聞きに、米原市近江公民館まで出かけました。多くの城好きな人「お城ファン」の参加者があり感心しました。荒神山周辺にも日夏氏の城跡をはじめ多くの城跡が存在し、同様のシンポジュウムを出来そうだと実感しました。井伊家が彦根に来る以前の地域の歴史を考えるきっかけになるかも知れません。
荒神山ファンクラブで検討してくれないかなーあ。




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 09:44 Comments( 1 ) 活動メモ

2018年03月08日

「地域再生の神様」 彦根に来

4日は上天気でした。
彦根デザイン・カレッジ 荒神山キャンパス最終報告会/荒神山ファンクラブ・キックオフシンポジウムが彦根市南地区公民館でひらかれた。「地域再生の神様」「地域活性化の伝道師」とも呼ばれる豊重哲郎さんが、鹿児島から彦根にお見えになり、講演を聞いた。


グラフィックファシリティションで整理してくれる人がいて、整理してくださったので載せておきます。
「人生は、シナリオのないドラマだ」との話しから始まり、やはり、素晴らしいお話でした。でも、日夏里館について「努力がたらん」といわれているように思いました。
水野さんありがとうございました。ファンクラブ、期待していますよ


7日には、大津市の日赤奉仕団の方が日夏里館に来館されました。バス2台でちょっと大変でした。お役に立ったのか少し不安です。
でも、豊重さんの言葉に「借り物ではなく自分の言葉で、全力で話せ。」とあるのを思い出した。
日夏里館も、保存に取り組みだして今年は10年目。
リニューアル、出直しの時期か?




Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 21:41 Comments( 0 ) 活動メモ
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プロフィール
日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。