2013年11月26日

荒神山をめぐる講演会

11月23日午前、日夏里館二階の和室で、日夏歴史研究会の荒神山の歴史をめぐって講演会がありました。
テーマは「近世の荒神山と周辺」についてのお話で、彦根城博物館の渡辺恒一氏に来館いただきました。

荒神山をめぐる講演会

渡辺さんは2003年の夏に開催されたテーマ展「荒神山と周辺地域の暮らし」の担当をされ、図録も作られています。

お話では、
荒神山には室町時代の「三国伝記」に記されたヘビ岩に関する古い伝承があることのことです。

明治になって荒神山神社となった奥山寺は、32石の奥山寺三宝荒神領は彦根藩領ではなく、慶安元年(1648)徳川家光の朱印状が知られる。井伊家の武運長久・国家安全の祈祷を勤仕し、井伊家と深い関係があることを再認識しました。
「勝乗院永代記録」(荒神山神社文書)には興味深い記録であり、読んでみたいとも思いました。

荒神山からは材木・草木・石・土などが利用されましたが、平等に利用できる訳ではなかったこと。
享保20年(1735)の石寺ムラ・三津屋村・須越村絵図は興味深く、野田沼に日夏の村々の葭地が入り組んでいたことが描かれ、三津屋村・須越村が日夏庄の内であった中世の歴史を反映しているようです。
寛永6年(1629)の日夏のムラと須越村との草場争論や、宝暦8年(1757)ほかの荒神山をめぐる日夏と三津屋村とのなども関係しそうです。
また、石材採取についても確認でき、今後の研究が期待されそうです。

ところで、会場の日夏里館の表には、二つの看板がお目見えしました。
荒神山をめぐる講演会

荒神山をめぐる講演会

一つは荒木さんに作成いただいた曳山の看板、もう一つは日夏里館改修の看板です。
日夏里館の外観も少しずつ変わりつつあります。改修にご期待下さい。



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Posted by 日夏ヴォーリズ建築の会 at 22:56│Comments(0)日夏歴史研究会
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日夏ヴォーリズ建築の会
フルヨじいさん

 本人はそんなに思っていないが、子どもたちから見ればやはりそのとおりか。

 日夏に生まれ日夏で暮らしてきた。これからも日夏の良さを再発見しながら暮らしていきたいと思う。できれば色々な方々と共に。